気が付けば 朗朗介護!(2) -生きる勇気と希望を与えてくれた出会い-

介護付き有料老人ホームで起きた3名転落死、そして次々と明らかになる虐待や窃盗事件。さらには系列の施設でも同様の事件が起きていたという・・。いつもながらこの手の事件には心が痛み、怒りがこみ上げる。家族が撮影した虐待の様子がテレビで放映されていたが、世間から遮断された施設の中で、人としての尊厳を無視され、苦悩を訴える相手さえいない被害者の思いはいかばかりか。

「介護職の給与水準が低いから人材が集まらない」とよく聞くが、「水をください」と懇願する老婦人に、聞くに堪えない暴言を吐いている介護職員に必要なのは道徳観である。そして、こういう人間を雇用した施設は、厳罰に処分されなければならない。

今回は、家族がこっそり病室にビデオカメラを設置して監視したから露見したが、そこまでしないとわからないというのは本当に恐ろしいことである。本来は施設の運営者が全室にビデオカメラを設置し、職員による虐待はないか、入居者の体調に変化ないかを一日中確認し、入居者が安心して暮らせているかどうかを確かめるぐらいの配慮があってもよいのだ。施設に対し認可する自治体には、早急な対応を求めたい。

さて、前回の続き。母が薄目を開いたのは、開頭手術から3週間経ってのことだった。祈る気持ちで病室に寝泊まりしていたので、母の目が開いた時は「奇跡が起きた!」とうれし涙があふれた。

後遺症で、母は右半身が麻痺し動かず、さらに失語症で言葉が全く出なかった。

翌日から介護、というより看護の生活が始まった。シーツの交換や排泄物の処理、寝間着の交換など日常的なことから、粉薬を水に溶かして鼻から胃につながっているチューブに流し込んだり、床ずれができないように一定時間ごとに体を傾けたり、かなり忙しかった。

目が開いてからは個室に移ったのだが、ある日のこと、ドアが細く開き、誰かがこちらを覗いていることに気付いた。そして覗きは毎日のように続いた。大部屋に移ってから聞いたのだが、高校生の息子が一生懸命母親の看病をしている、というのが病棟で評判になり、(たぶん話が大きくなり)感動話となり、覗きにくる人が続出したのだとか。当の本人はなんとも思ってなかったので、おかしくて笑ってしまった。

意識が戻ってほんの数日後、病室にリハビリ科のM先生が訪ねてきて、母の体の様子を確認すると、「明日からリハビリを開始しましょう」と言う。まだ視点も定まらず、一人でご飯も食べることができないのに何を言いだすのかと思い「リハビリなんて、まだ早くないのですか?」ときつい口調で言い返してしまった。先生は笑いながら「早く始めたほうが患者さんのため。明日の午前中に迎えに来るから」と病室を出て行った。

翌日から母はリハビリを開始した。右半身が麻痺しているため、1人でもちろん立つことができない。しかし先生はおかまいなしにリハビリを続ける。苦痛で悲鳴を上げる母の姿を直視できなかった。

しかしこのM先生との出会いが、母と私に生きる勇気と希望を与えてくれることになるのだ。(続く)

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筆者:渋柿
昭和53年、母38歳で脳溢血。一命をとりとめたものの右半身麻痺、失語症に。
私は17歳から介護生活を開始。38年が過ぎた今も、在宅介護が続いている。
平成28年、母76歳、息子の私55歳。老々介護が間もなく訪れる。
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[写:hu album @fliker]

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