気が付けば朗朗介護!(7) -家に帰ると驚く光景が!?-

母の1週間は忙しい。月曜から金曜の午前中はヘルパーさんが来て、身の回りの世話や昼食の準備をする。月曜と金曜はマッサージ師さんの訪問治療、火曜日は訪問看護師による歩行訓練等の指導、水曜日は訪問看護師二人によるシャワー入浴、さらに水曜日は買い物付添いの日で、ヘルパーさんと一緒に近くのスーパーマーケットまで買い物に出かけるのだ。数か月前まではさらに夕方の1時間、主に母の夕食準備のためヘルパーさんが来ていたが、人の出入りが多くてさすがに疲れると言うので、これは断ることにした。

これらのスケジュールはケアマネージャーと相談して決めるのだが、私も介護生活が長いので介護保険の仕組みにも詳しくなり、うちにとって必要な支援はどれかもおのずとわかるようになった。今のケアマネージャーは、小うるさい私のさまざまな要求にも真摯に、そして迅速に応えてくれるので、とても感謝しているし絶大な信頼を寄せている。

しかし、うまい介護スケジュールをいくら組んでみても、所詮は人と人の関わりだから、ヘルパーさんとの相性がとても重要になる。時にはどうしても合わないこともあり、ヘルパーさんのささいな言動や態度で母が落ち込むこともあれば、母がわからず屋でヘルパーさんに不快な思いをさせることもたくさんあるはずだ。帰宅すると母からその日の出来事を聞かされるのが常だが、嫌だったことやちょっと頭にくることも多くあり、そんな時は「人の手を借りないと生きてはいけないのだから、いつも感謝、ありがとうの気持ちを忘れちゃダメだよ」と言いきかせている。でもなによりのストレス解消は私にこぼすことなのだろう。

こうして平日の体制はできているが、問題は土曜と日曜、さらに平日の朝夜だ。この時間だけは家族が介護しなければならない。ケアマネージャーが言うには「介護保険は家族ができない部分を手助けすることが目的」らしいが、介護の資格がない家族が大部分をケアしなければならないのだから、家族にとっては大きな負担となる。介護ウツになる人が多いのもわからなくもない。私の介護生活のモットーは、一生懸命にならないこと、完璧にこなそうと思わないこと、気分転換の時間をできるだけ作ること。このエッセーのタイトルのように、朗らかに介護生活を送っていこうと決めている。

さて前回の続き。祖母に対してきついことを言ってしまった私に、祖母は涙をボロボロこぼしながら「おかあさんにごめんなさいって謝って。ほんとにごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返した。同じ目に合わないとわからないとは、なんて可哀そうな人だと思った。そして家に帰ると驚く光景が・・。父方の叔父叔母が寿司の出前を囲んで宴会の真っ最中だったのだ。祖母が倒れたというので集まったものの、命に別状がないことを知り、宴会が始まったのだろう。今思えば若気の至りだが、その人たちを見て私は怒りがこみ上げ、「オレは自分の母親の面倒は自分が見る、けどあんたたちの親(祖母のこと)の面倒は一切見ないからそのつもりで」と声を荒げた。その時の叔父叔母の唖然とした顔は今も忘れられない。宴会を開いていたその人たちは、祖母を特養老人ホームに入居させた。祖母は亡くなるまでの10数年をそのホームで過ごした。私は、ごめんなさいと繰り返した病室での出来事以来、告別式の日まで祖母の顔を見ることはなかった。(続く)

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筆者:渋柿
昭和53年、母38歳で脳溢血。一命をとりとめたものの右半身麻痺、失語症に。
私は17歳から介護生活を開始。38年が過ぎた今も、在宅介護が続いている。
平成28年、母76歳、息子の私55歳。老々介護が間もなく訪れる。
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[写:hu album @fliker]

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