気が付けば朗朗介護(10) -親子であるがゆえにお互いに抱え込むストレスも-

介護保険制度が本格的にスタートしたのは2000年(平成12年)のこと。母を引き取ったのが1985年(昭和60年)なので、15年後のことである。私にとって介護保険は比較的新しいものと感じるのだが、それは「苦労した15年間」が長かったからだと思う。

当時の役所は担当窓口が細分化され、担当する案件についての相談には対応してくれるが、総合的なアドバイスを受けるという仕組みはなかった。「わからないから利用できない」という事が多くあったかもしれない。私の場合、(少しだけ)強引な性格のおかげで、広く情報収集ができたし、さまざまな支援を受けることができた方ではないかと思う。

今から35年ほど前、身体障害者手帳の交付申請のため、市役所からの指示で母を病院へ連れて行った。リハビリ科の専門医が、母の手足の曲がり具合を大きな定規や分度器のようなもので測り、その数値を書類に記入。さらに、自力で手足がどれぐらい上がるか、杖を突いて歩ける距離、立ったり座ったりできるかなどの身体能力を調べた。「分度器を使うなんて、意外と原始的な方法で決めるんだ」と思ったものが、等級の結果は担当医が言っていたとおりだった。

現在の介護認定方法も似ている気がする。市の調査員が自宅を訪ね、母と家族(私)に対して面接調査を行う。そしてその結果を認定委員会に諮り、等級が決定するという仕組みだ。寝たきりの方など、明らかに等級の基準範囲に入る症状の方と違い、母の場合は失語症なのに臆せずしゃべるし、ケラケラとよく笑うし、顔色もいいものだから、調査員に好印象をもたれてしまって、等級が下がるのではないかと、内心ハラハラしてしまうのだ。しかし、等級の結果はケアマネージャーと話したとおりになる。どちらも、専門家の目で見て、しっかり判断しているのだろう。

介護保険制度が始まって変わったのは、サービスの提供が介護される人だけでなく介護する側にも配慮されるようになったことだ。ケアマネージャーと相談しながら介護サービスの利用計画(ケアプラン)を作るので、望んだサービスが受けやすくなるのだ。我が家のように、息子が母親を介護する例も珍しくはなくなったが、親子であるがゆえにお互いに抱え込むストレスも多い。ケアマネージャーは、介護する側の負担が少しでも軽くなるよう、さまざまなアドバイスをしてくれるのだ。

訪問看護によるシャワー入浴もその一つだ。大人を一人だけの力でシャワー入浴させるのはかなり疲れる。しかもそのあとの着替えも重労働だ。訪問看護ではその作業は2名体制で行い、シャワーの後に母の皮膚の状態を確認し、必要に応じて軟膏を塗るなどの処置も行う。最近では平日に休みを取るのは大変だろうと、皮膚科への通院介助にも対応してくれるし、その状況や報告を訪問看護のセンターから電話やメールで知らせてくれる。

来月、母にとって初めてのショートステイが待っている。ショートステイは、介護される人のメリットだけでなく、介護する側が毎日の介護からひととき解放されるのだ。しかし、今のところ母は行きたくないと駄々をこねているのだ。何事も経験と言い聞かせているのだが・・・。(続く)

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筆者:渋柿
昭和53年、母38歳で脳溢血。一命をとりとめたものの右半身麻痺、失語症に。
私は17歳から介護生活を開始。38年が過ぎた今も、在宅介護が続いている。
平成28年、母76歳、息子の私55歳。老々介護が間もなく訪れる。
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[写:hu album @fliker]

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