気が付けば朗朗介護(12) -生きてる限りは、好きなものを-

先月末、母は3泊4日のショートステイを初体験した。前号で書いた通り、ショートステイとは「介護する側が少しでもリフレッシュできるよう、施設で短期間介護をしてもらうこと」である。「介護する側、つまりオレがリフレッシュするためのものなのだ」とワクワクしていたのだ。しかし楽しいことは易々とはやってこないもので、事前準備が大変で、前日は夜遅くまでバタバタだった。まずは施設に持ち込む物すべてに名前を書く作業から。歯ブラシ、歯磨き粉、くし、歯磨き用のコップから、タオル、パジャマ、下着まで。そして、そのすべてを指定の表に書き込んでいく。それは、枚数、色や形などとても細かく書くように指示されているのだ。母の下着の形と言われてもなあ・・。

荷物を鞄に詰めていると、母の下着がだいぶくたびれていることに気付いた。「あの家族、こんな古くなった下着を穿かせているのか」と思われても癪だから、夜中まで開いているスーパーへ駆け込んだ。レジの女性の冷たい視線は、明らかに「HENTAI OYAJI」を見る目だった。夜更けに女性用下着を3枚買っていく中年を、怪訝に思うのは仕方ないことだ。次に面倒だったのが持っていく薬の整理。薬が主食かというくらい、母は朝昼晩、食間、寝る前に分けて大量の処方されている。「いつ飲む薬で何を何錠飲むか」とマジックで書いた袋を作り、分けて詰めた。

トイレは大丈夫なのか、薬の飲み忘れはないだろうか、あれこれ心配は尽きない。初めての遠足に子供を行かせる親のような思いで、ショートステイの準備をした。

そして当日。希望すれば送迎もあるのだが(もちろん有料)、母の不安な気持ちがやわらげればとの思いと、対応してくれる施設の人たちを自分の目で確かめておきたいと考え、車で送っていった。

部屋に着くと、すべての荷物がベッドに広げられ、施設の人が色や形、数量をチェックし、表に記入していった。(あれ?昨夜遅くまでオレがやったのに・・あれはなんだったの?)とちょっとイライラするも、これから母を預けるのだからとグッとこらえ、(超作り)笑顔でスルーした。さらにそのすべてを一つずつデジカメに記録していた。もし、どうしても家に帰りたくなったら困ると思い、家の鍵をこっそり持たせたのだが、必要ないと返された。施設内に飲物の自販機があったので、500円玉6枚を渡しておいたのだが、現金は一切いらないと、これも返された。施設では、現金や物が無くなったというトラブルが多いとのこと。フロアは違うが認知症の入居者もいることから、トラブルを最小限に抑えるために、持ち物については厳重な管理体制をしているとの説明だった。

さあ、これで準備万端。施設の方にあいさつし、帰ることにした。母は不安げな顔で、しかも涙ぐんでいた。でもこれは母にとっても私にとっても大きな試練である。母は子離れし、他人からの世話にも慣れていかなければいけない。私もある意味「母離れ」しなければいけない時なのだ。心を鬼にし、振り向かずに施設を後にした。

家に着いた私は荷物をまとめ、空港へ向かった。そして一人、南の島へと旅立ったのである。(続く)

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筆者:渋柿
昭和53年、母38歳で脳溢血。一命をとりとめたものの右半身麻痺、失語症に。
私は17歳から介護生活を開始。38年が過ぎた今も、在宅介護が続いている。
平成28年、母76歳、息子の私55歳。老々介護が間もなく訪れる。
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[写:hu album @fliker]

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