保守の旗、崩れた独占=自民党、右傾化か中道か

 70年前の「保守合同」で発足した自民党は長らく保守の旗印をほしいままにしてきた。しかし近年、保守を掲げる多様な政党が台頭し、「独占」は崩れた。党勢回復を託された高市早苗総裁(首相)は保守色を前面に出すが、過度な右傾化と見られれば穏当な支持層が離れるジレンマを抱える。(肩書は当時)
 ◇寛容の精神
 1955年11月15日、吉田茂元首相の流れをくむ自由党と、鳩山一郎首相が率いる日本民主党が合流した。60年の党大会で政策文書「保守主義の政治哲学要綱」を承認。「保守主義の哲学は、自己と共に他人の立場を尊重する寛容の精神に通ずる」とうたい、国民政党としての立ち位置を明確化した。
 東西冷戦期には、共産主義に対抗しつつ中道寄りの政策で長期政権を維持。吉田氏の「軽武装・重経済」路線は「保守本流」と呼ばれ、自主憲法制定や対米自立を掲げる党内タカ派との間で路線を争う「疑似政権交代」を繰り返した。
 冷戦終結後の90年代、湾岸戦争への対応を資金拠出にとどめたことに、国際的な非難が殺到した。中国の大国化など国際情勢の変化もあり、「軽武装」は後退。自衛隊の役割拡大や日米連携強化へかじを切った。
 2009年の野党転落後、民主党政権との対抗軸に保守を据え、10年に策定した新綱領で「日本らしい日本の保守主義」を打ち出した。「保守」の文字は、55年の立党宣言や旧綱領にはなかったものだ。
 ◇リベラルは敵
 12年に政権復帰すると、安倍晋三首相は「戦後レジームの総決算」を掲げ、靖国神社を参拝し、憲法改正に取り組んだ。「岩盤保守」と呼ばれる支持層を固めて安定政権を築いた。自民ベテランは「保守は右寄りに変わり、リベラルは敵となった」と指摘した。
 吉田路線を継ぐ旧岸田派(宏池会)会長の岸田文雄首相がLGBTなど性的少数者への理解増進法成立を後押しするなど、リベラルへの揺り戻しもあったが、自民は24年衆院選、25年参院選で敗れ、少数与党に転落した。
 ◇「岩盤」戻るか
 自民退潮の中、改憲に積極的で、外国人規制の強化も先取りした国民民主党や参政党などが躍進した。自民は参院選の総括文書で「保守層の一部に流出が生じた」と危機感を示した。
 高市氏は10月の総裁選で「安倍後継」を訴えて勝利。連立政権のパートナーは、「ブレーキ役」だった公明党から「改革保守」を自負する日本維新の会に交代した。高市氏は、台湾有事で集団的自衛権行使の可能性に言及するなど、タカ派ぶりを隠さない。側近は「参政や日本保守党に流れた支持層が戻ってきている」と手応えを語る。
 「岩盤保守」重視の戦略には、懐疑的な見方もくすぶる。ある首相経験者は「いまは穏当な保守ががら空きだから、本当はそこを狙うべきだ」と語った。 
〔写真説明〕自由民主党本部=12日、東京・永田町

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