スカイツリーを予言?築地の古地図

移転問題が注目を集める一方、お寿司を始め魅力的な食で外国人にも人気の『築地』ですが、今だからこそ、その歴史に目を向けてみますと、いろいろと興味深いものがあります。築地の歴史を知るために格好の場所が築地四丁目交差点の角に位置する築地インフォメーションセンターの2Fにある『築地よりみち館』。入場無料で、江戸から明治にかけての築地の錦絵(浮世絵)を、最新デジタル技術を用いて忠実に複製した絵画や、現在の築地との対比ができる地図と写真などを観賞し、知られざる築地の歴史を知ることができます。

例えば、日本最初の西洋風ホテルが1868年(明治元年)に、建てられたのも築地でした。通称「築地ホテル館」、外国人からは「江戸ホテル」と呼ばれたこのホテルは、たった5年で、火事で焼失してしまいましたが、その賑わいを綺麗な錦絵で感じとることができます。当時、ホテルの近くには、領事館もたくさん有り、海外の方がたくさんいて、東京随一の国際交流の場として賑わっていたそうです。かつての面影はありませんが、海外の方で賑わっているのは、今も同じですね。

明治維新以前、江戸時代後期は、築地には歴史の教科書では寛政の改革で有名な松平定信の下屋敷があり、『浴恩園』と呼ばれる1万7千坪もの広大な土地に、素晴らしい大名庭園があったそうです。幕政の第一線を退いた後、定信が優雅に余生を過ごしたと言われ、東京湾より水を引き入れ、春風と、秋風と名付けられた池のある回遊式庭園は、桜や梅、紅葉など四季折々の花も楽しめたようです。しかし、その庭園は、文政12年(1820年)の大火で焼失。維新以降は 海軍の用地になり、海軍省や海軍大学校が建設されたため築地は『海軍発祥の地』とも呼ばれています。ちなみに関東大震災までは、『浴恩園』の二つの池も残っていたのですが、震災で消失し、その後1935年に日本橋から魚河岸が移転し、今の築地市場となったのです。

なお、『築地よりみち館』には、築地を細かく描いたのではないのですが、実に面白く興味深い古地図もあります。1847年、江戸末期に江戸周辺~富士山までを描いた絵地図なのですが、その視点は、なんと、現在スカイツリーから眺めた様子と同じ!だそうです。当時、どうやって空から眺めたような図を描いたのか不思議です。昔の人の想像力に驚くばかりですが、この古地図を見た後に、スカイツリーに登って確かめてみるのも楽しいかもしれません。

おわりに、築地インフォメーションセンターのあるビルには、他にもレストラン、マルシェなど入っており、場内場外の人気飲食店の混雑に比べると、コストxパフォーマンスは変わらず、落ち着いて過ごすことができるので、オススメです。築地にお出かけの際は、ぜひこの『穴場』にお立ち寄りください。

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