山形出身の日本コロムビアから発売された楽曲の作詞経歴のある文部官僚【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.6】

文科省の事務次官の告白が政争の話題になるなどしておりますが、文科省はかつて文部省という名でした。今回は山形県米沢市出身の文部官僚・高田休廣さんをご紹介します。

高田さんは山形県米沢市で元会津藩士・高田休烈の5男として生まれました。1921年に東京帝国大学(今の東京大学)英法科を卒業後、東京府庁に入庁しました。1923年に石川県警察部に出向していた時に、高田耕甫(たかだ こうほ)の筆名で「東京市歌」を作詞し、東京市懸賞公募に応募して一等入選となりました。この楽曲は著名な作曲家・山田耕筰が曲をつけ、日本コロムビアから発売されたSPレコードでは「東京市民歌」の表題が使用されました(’43東京市廃止のため終了となるも、東京都では都歌に準ずる扱いで継承)。

関東大震災の後に帰京し文部省に入省しました。学務局農業教育課長をはじめ、社会教育局青年教育課長、資源局官房文書課長、宗教局長、督学官等を歴任しました。1938年に文部省退官し、1941年に長崎高等商業学校校長に就任したがましたが翌年在任中に急逝したということです。享年46歳でした。没2日後の1月7日付の贈位により従四位に叙せられました。

※墓石は和型で「高田家之墓」と刻まれています。裏面に「昭和十一年九月建之 高田豊」と刻まれており、左右には墓誌が建ち、休廣や豊の刻みがある墓誌は右側にあります。休廣の戒名は眞徳院其阿絶学休廣居士。長崎高等商業学校長 正四位勲三等 と、「一死以て職場護(まも)れと卒業の告示終るや殪(たお)れ 校長」と刻まれてます。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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