宮城県出身の近代アルピニズムの開拓者であり紹介者【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.17】

もうすぐ夏も終わりに近づきます。秋になると登山シーズンですが、今回は宮城県出身の登山家・槇(まき)有恒(つね)さんを紹介します。

宮城県仙台市に槇武さんの息子として1894年に生まれました。12歳の時に、父(武、同墓)と富士山に登って山好きとなり、慶応義塾在学中に恩師の鹿子木員信とともに日本山岳会を設立しました。 卒業後渡欧して、1921年にはアルプスの難ルートであるアイガー東山綾の初登攀に成功し、のち1925年にはカナディアン-ロッキー山脈の処女峰マウント-アルバータの初登頂に成功した。

欧州から帰国して岩登りをわが国に紹介し、学生登山界に大きく貢献したといいます。1923年に立山松尾峠での遭難などの苦難を味わっており、同年刊行した「山行」は大正・昭和初期を代表する山の名著として名高い作品です。1956年には第三次マナスル遠征隊隊長として8,125メートルの初登頂を成功させた。1946年、および1951~55年に日本山岳会会長をつとめ。1956年には文化功労者を受けています。日本の近代アルピニズムの開拓者・紹介者として実績がある人物です。

同墓所には銀行家の父親の武さん、兄で教育者の智雄(勲二等)さん、弟で慶応義塾大学医学部を卒業して医師になった弘(勲三等)さんも眠っています。また同墓ではないですが植民地経営の実業家である槇哲(あきら)さんは叔父にあたります。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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