TheNews(ザ・ニュース) > コメント部屋 > 大相撲のコメント部屋大相撲のコメント部屋 ※コメントを投稿する際は「コメントのルール」を一読ください。 ※誹謗中傷、なりすまし、野球に直接関係ないコメントは「NGコメント」、以上の行為を繰り返すと「NGユーザー」の対象となります。 ※2019年7月1日からコメントの確認・サイト掲載時間は9時~18時の間のみです。またコメント反映までは1時間程度を目安としてください。 ※フィーチャーフォン(ガラケー)の投稿機能に関しましては、動作を保証するものではありませんのでご了承ください。
. 春場所初日の相撲が始まりました。 北の富士さんが今場所もお休みなのは寂しい限りで、心配でもあります。 そして、新大関琴ノ若に話題が集まり、横綱照ノ富士も念願の二桁優勝を目指しています。琴ノ若を含む4人が大関で番付を賑わせてます。 元大関の正代と高安、同じく御嶽海の3力士が初日を白星で飾りました。しかし、幕内前半の取組で3力士が出てくるとは…… 番付も3人のなかでの最上位である高安でさえ西前頭8枚目。 前頭は17枚目までありますが、横綱や三役陣を加えた幕内総力士数は42名。 西前頭8枚目の高安の下には17人しかいません。高安の上には24人もいます。
本当ならば、協会の危機管理委員会が機能しなくてはならない状況だと思いますが、花籠危機管理部長(元太寿山)は、どのように対策を打っているのだろうか? 理事長の顔色窺いに終始しているのではなかろうか? あと1年あまりで65歳定年を迎える花籠親方。 現役時代は、横綱北の湖から金星4つ(対戦成績4勝6敗)と健闘し、横綱千代の富士からも金星3つ獲得した以外はパッとしなかった太寿山でした。最後の最後にビシッと仕事して協会改革のいったんを担ってもらいたいです。 宮城野部屋存続か否かではなく、論点は、不幸な暴行傷害事件を起こさない方法をいくつも立案し実行して欲しい。各部屋任せは 体(てい)のいい“丸投げ” 協会執行部が本気になって年寄(親方)衆総動員で取り組んでもらいたい。 105しかない年寄株ですが、言い換えれば、親方衆が105人近くもいるということ。 プロ野球12球団の監督・コーチの総数よりもずっと多いのですから、やれることはいくらでもある。 力士会からも参加してもらって「暴力撲滅を主眼とした風紀委員会」なるものを作って目を光らせてみるのも一案。
それから26年もの月日が経った2019年、前年に相撲協会も退職していた貴乃花は『週刊文春』の取材に応え、《あの時はそう(発言)するしかありませんでした。お互いが自分の進むべき道にレールを戻すためには》と発言の真意を明かしている。また、《もし(宮沢が芸能界を引退して)職を捨てることになれば、その生き方ができなくなるわけです。お互い、親から生まれてきた身です。二人が名もない花だったら、それぞれの本意を大切にして、花を咲かせることができたのかもしれませんけどね……》とも語った(『週刊文春』2019年2月14日号)。二人とも幸か不幸か若くして有名になり、それぞれの世界を背負う存在であったがゆえ、ゆっくりと今後のことを考えていくはずだったのに、面白がって早朝・深夜を問わず取材攻勢をかけてくるマスコミどもに煽られまくって心の余裕を失くしてしまい、それぞれの立場を熟慮すればするほど、別れざるをえなかったということだろう。 この頃の某週刊誌記者は、他人のプライバシーを踏みにじって不幸に陥れてる仕事をして恥ずかしくないのか!?と実の子供たちから糾弾され親子の縁を切られてしまったそうです。 直近では、フィギュアスケートの羽生結弦選手が結婚して半年で離婚することになりましたが、新妻やその実家へ押し掛け追い回し、学生時代の同級生らにまで、彼女のエピソードを聞き出そうとしたという。これもマスコミが追いかけ回した結果の不幸な破局でした。 オータニさんのことを、お願いだから、そっとしておいて欲しい。そう願うばかりです。 おわり
3それでも取材攻勢はエスカレートするばかりで、二人の乗った車を追いかけて壮絶なカーチェイスが繰り広げられ、ついには報道陣の車両がけが人を出してしまう。ここにいたって、相撲協会トップの出羽海理事長(元横綱・佐田の山)はマスコミ各社宛てに正式な取材自粛要請を出さざるをえなかった。藤島親方も一時は婚約会見の中止を本気で考えたという。 宮沢には結婚後も仕事を続けさせたい気持ちが強い宮沢りえの母親と、引退しておかみ修業をしてほしい貴花田の両親とのあいだに溝が生じていて、マスコミもその空気を察知して、1992年暮れには破局情報が出始める。特にフジサンケイグループの記事は辛辣極まりないものだった。 ついには1月場所を終えた直後の1月27日、両者の話し合いをもって婚約解消が決定。 愛するりえさんと家族のことを慮った新大関貴ノ花は『自分の愛情がなくなりました』と口にして、マスコミの非難を全て自分にくるようにした。案の定、全てのマスコミや普段は相撲の記事など載せないファッション雑誌からも激しい非難のオンパレードとなる。 それから26年もの月日が経ち、 このときにはすでに、宮沢には結婚後も仕事を続けさせたい彼女の母親と、引退しておかみ修業をしてほしい貴花田の両親とのあいだに溝が生じていた。マスコミもその空気を察知して、1992年暮れには破局情報が出始める。 ついには1月場所を終えた直後の1月27日、両者の話し合いをもって婚約解消が決定。 『Nステ』のスクープからわずか3カ月後のことであった。貴花田は1月場所で優勝こそ逃すも、大関昇進を果たす。それと引き換えのように、その伝達式当日、二人はそれぞれ破局会見を行なった。このとき、大関昇進にともない「貴ノ花」と改名した彼は、宮沢りえ自身とその実家を守りたい一心で、全ての非難が自分に向けられるように「自分の愛情がなくなりました」と口にして、案の定、日本中のマスコミとその記事を信じた一般人たちからの激しい非難にさらされる。
T「結婚を発表した理由? んー、一番はメディアのみなさんがうるさいので……」大谷翔平選手は結婚を公表した理由を問われ、こう答えました。 “アスリートの結婚”をマスコミはどう取り上げてきたのか? なぜアスリートは結婚式を公開しなくなったのか? その歴史を辿ると 昭和30年代後半から40年代にかけてのプロスポーツの世界で、巨人とともに圧倒的な強さから人気を集めたのが横綱・大鵬である。大鵬は1966年、巡業中に知り合った秋田の老舗旅館の息女と9月場所後に婚約、翌1967年5月29日に挙式した。 帝国ホテルでの披露宴には、大卒の初任給が5万円程度だった当時としては巨額の2700万円の費用をかけ、約1500人が出席、20 貴花田の時は 想像を絶する騒ぎとなっていました。 1992年10月26日、翌月からの大相撲11月場所の番付が発表されたその夜、テレビ朝日系の『ニュースステーション』が、関脇・貴花田(のちの横綱・貴乃花)と俳優の宮沢りえが婚約したと第一報を伝えた。片や先の9月場所で2度目の幕内優勝を果たし、相撲界に旋風を巻き起こしていた若手力士と、片や前年に出したヌード写真集がベストセラーとなるなど常に話題の中心にあったトップアイドルというビッグカップルの誕生に、日本中が沸き返る。 それからというもの、マスコミは二人を追いかけ続ける。あまりの取材の過熱ぶりに、貴花田の父親で師匠の藤島親方(元大関・貴ノ花)は「嘘はつかないし、聞かれたことには答える。だから二人のプライベートのほうはあまり追いかけないでいただきたい」と申し入れるほどだった。
ジャイアント馬場さんの時のマスコミも酷かった。 1972年、ある女性週刊誌が馬場さんが 前年に結婚式を挙げていたとすっぱ抜き、夫人の素性があきらかにされる。彼女の実家には一気に取材陣が押し寄せ、母親はノイローゼに陥ってしまった。馬場さんはこれを受け、マスコミに対し「先方のお母さんを悲しませるようなことは、お願いだからやめてほしい」と懇願していたという。
北の湖に続き一時代を築いた大横綱・千代の富士の場合は、人気も高かっただけに、大関昇進の前後より結婚相手をめぐり取材合戦が繰り広げられた。 1982年初めには福岡在住の女性と結婚の約束をし、師匠の九重親方(元横綱・北の富士)と彼女の両親からも許しを得ていたが、やがてマスコミに感づかれる。5月14日にはついに部屋に報道陣が殺到、その攻勢に押されたのか、親方がとうとう千代の富士は10日後に婚約を発表すると漏らしてしまう。相手の福岡の自宅にも取材が押し寄せ、事態を沈静化するため、正式の記者会見より1週間早く彼女は単独で会見を行なわざるをえなかった。 1982年9月30日のホテルニューオータニでの披露宴には、北の湖を上回る(マスコミの推定で)約2億円をかけたとされる。その模様はテレビ中継もされた。会場には取材席を設けて、マスコミには事前にそこで取材してもらうよう頼んでいたが、いざ開宴すると、芸能レポーターたちは会場を走り回った。《来賓や招待客にテレビカメラをぶち当てたり、ご婦人方の和服の裾にコードをからめて倒してしまったり。それでも知らん顔です》と、九重親方はマスコミ不信、特に民放テレビの取材スタッフの信じられない横暴ぶりに怒りを顕(あらわ)にしている (九重勝昭『爆笑大相撲』日之出出版、1983年)。
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. 春場所初日の相撲が始まりました。
北の富士さんが今場所もお休みなのは寂しい限りで、心配でもあります。
そして、新大関琴ノ若に話題が集まり、横綱照ノ富士も念願の二桁優勝を目指しています。琴ノ若を含む4人が大関で番付を賑わせてます。
元大関の正代と高安、同じく御嶽海の3力士が初日を白星で飾りました。しかし、幕内前半の取組で3力士が出てくるとは……
番付も3人のなかでの最上位である高安でさえ西前頭8枚目。
前頭は17枚目までありますが、横綱や三役陣を加えた幕内総力士数は42名。
西前頭8枚目の高安の下には17人しかいません。高安の上には24人もいます。
舞の海の解説はつまらない。
オーラもないし舞の海に言われてもな。
やはり北の富士氏とは偉い違い。
消音にするわ。
この春場所、十両が熱い。
本日から春場所が始まりますね。
初日から好取組が多くて楽しみです。
特に貴景勝−朝乃山。初日から、いきなりカド番大関と大関経験者の対戦。
王鵬−若元春も楽しみです。
朝乃山と若元春を応援します。
本当ならば、協会の危機管理委員会が機能しなくてはならない状況だと思いますが、花籠危機管理部長(元太寿山)は、どのように対策を打っているのだろうか?
理事長の顔色窺いに終始しているのではなかろうか?
あと1年あまりで65歳定年を迎える花籠親方。
現役時代は、横綱北の湖から金星4つ(対戦成績4勝6敗)と健闘し、横綱千代の富士からも金星3つ獲得した以外はパッとしなかった太寿山でした。最後の最後にビシッと仕事して協会改革のいったんを担ってもらいたいです。
宮城野部屋存続か否かではなく、論点は、不幸な暴行傷害事件を起こさない方法をいくつも立案し実行して欲しい。各部屋任せは 体(てい)のいい“丸投げ”
協会執行部が本気になって年寄(親方)衆総動員で取り組んでもらいたい。
105しかない年寄株ですが、言い換えれば、親方衆が105人近くもいるということ。
プロ野球12球団の監督・コーチの総数よりもずっと多いのですから、やれることはいくらでもある。
力士会からも参加してもらって「暴力撲滅を主眼とした風紀委員会」なるものを作って目を光らせてみるのも一案。
それから26年もの月日が経った2019年、前年に相撲協会も退職していた貴乃花は『週刊文春』の取材に応え、《あの時はそう(発言)するしかありませんでした。お互いが自分の進むべき道にレールを戻すためには》と発言の真意を明かしている。また、《もし(宮沢が芸能界を引退して)職を捨てることになれば、その生き方ができなくなるわけです。お互い、親から生まれてきた身です。二人が名もない花だったら、それぞれの本意を大切にして、花を咲かせることができたのかもしれませんけどね……》とも語った(『週刊文春』2019年2月14日号)。二人とも幸か不幸か若くして有名になり、それぞれの世界を背負う存在であったがゆえ、ゆっくりと今後のことを考えていくはずだったのに、面白がって早朝・深夜を問わず取材攻勢をかけてくるマスコミどもに煽られまくって心の余裕を失くしてしまい、それぞれの立場を熟慮すればするほど、別れざるをえなかったということだろう。
この頃の某週刊誌記者は、他人のプライバシーを踏みにじって不幸に陥れてる仕事をして恥ずかしくないのか!?と実の子供たちから糾弾され親子の縁を切られてしまったそうです。
直近では、フィギュアスケートの羽生結弦選手が結婚して半年で離婚することになりましたが、新妻やその実家へ押し掛け追い回し、学生時代の同級生らにまで、彼女のエピソードを聞き出そうとしたという。これもマスコミが追いかけ回した結果の不幸な破局でした。
オータニさんのことを、お願いだから、そっとしておいて欲しい。そう願うばかりです。
おわり
3それでも取材攻勢はエスカレートするばかりで、二人の乗った車を追いかけて壮絶なカーチェイスが繰り広げられ、ついには報道陣の車両がけが人を出してしまう。ここにいたって、相撲協会トップの出羽海理事長(元横綱・佐田の山)はマスコミ各社宛てに正式な取材自粛要請を出さざるをえなかった。藤島親方も一時は婚約会見の中止を本気で考えたという。
宮沢には結婚後も仕事を続けさせたい気持ちが強い宮沢りえの母親と、引退しておかみ修業をしてほしい貴花田の両親とのあいだに溝が生じていて、マスコミもその空気を察知して、1992年暮れには破局情報が出始める。特にフジサンケイグループの記事は辛辣極まりないものだった。
ついには1月場所を終えた直後の1月27日、両者の話し合いをもって婚約解消が決定。
愛するりえさんと家族のことを慮った新大関貴ノ花は『自分の愛情がなくなりました』と口にして、マスコミの非難を全て自分にくるようにした。案の定、全てのマスコミや普段は相撲の記事など載せないファッション雑誌からも激しい非難のオンパレードとなる。
それから26年もの月日が経ち、 このときにはすでに、宮沢には結婚後も仕事を続けさせたい彼女の母親と、引退しておかみ修業をしてほしい貴花田の両親とのあいだに溝が生じていた。マスコミもその空気を察知して、1992年暮れには破局情報が出始める。 ついには1月場所を終えた直後の1月27日、両者の話し合いをもって婚約解消が決定。
『Nステ』のスクープからわずか3カ月後のことであった。貴花田は1月場所で優勝こそ逃すも、大関昇進を果たす。それと引き換えのように、その伝達式当日、二人はそれぞれ破局会見を行なった。このとき、大関昇進にともない「貴ノ花」と改名した彼は、宮沢りえ自身とその実家を守りたい一心で、全ての非難が自分に向けられるように「自分の愛情がなくなりました」と口にして、案の定、日本中のマスコミとその記事を信じた一般人たちからの激しい非難にさらされる。
T「結婚を発表した理由? んー、一番はメディアのみなさんがうるさいので……」大谷翔平選手は結婚を公表した理由を問われ、こう答えました。
“アスリートの結婚”をマスコミはどう取り上げてきたのか?
なぜアスリートは結婚式を公開しなくなったのか? その歴史を辿ると
昭和30年代後半から40年代にかけてのプロスポーツの世界で、巨人とともに圧倒的な強さから人気を集めたのが横綱・大鵬である。大鵬は1966年、巡業中に知り合った秋田の老舗旅館の息女と9月場所後に婚約、翌1967年5月29日に挙式した。 帝国ホテルでの披露宴には、大卒の初任給が5万円程度だった当時としては巨額の2700万円の費用をかけ、約1500人が出席、20
貴花田の時は 想像を絶する騒ぎとなっていました。
1992年10月26日、翌月からの大相撲11月場所の番付が発表されたその夜、テレビ朝日系の『ニュースステーション』が、関脇・貴花田(のちの横綱・貴乃花)と俳優の宮沢りえが婚約したと第一報を伝えた。片や先の9月場所で2度目の幕内優勝を果たし、相撲界に旋風を巻き起こしていた若手力士と、片や前年に出したヌード写真集がベストセラーとなるなど常に話題の中心にあったトップアイドルというビッグカップルの誕生に、日本中が沸き返る。 それからというもの、マスコミは二人を追いかけ続ける。あまりの取材の過熱ぶりに、貴花田の父親で師匠の藤島親方(元大関・貴ノ花)は「嘘はつかないし、聞かれたことには答える。だから二人のプライベートのほうはあまり追いかけないでいただきたい」と申し入れるほどだった。
ジャイアント馬場さんの時のマスコミも酷かった。
1972年、ある女性週刊誌が馬場さんが 前年に結婚式を挙げていたとすっぱ抜き、夫人の素性があきらかにされる。彼女の実家には一気に取材陣が押し寄せ、母親はノイローゼに陥ってしまった。馬場さんはこれを受け、マスコミに対し「先方のお母さんを悲しませるようなことは、お願いだからやめてほしい」と懇願していたという。
北の湖に続き一時代を築いた大横綱・千代の富士の場合は、人気も高かっただけに、大関昇進の前後より結婚相手をめぐり取材合戦が繰り広げられた。 1982年初めには福岡在住の女性と結婚の約束をし、師匠の九重親方(元横綱・北の富士)と彼女の両親からも許しを得ていたが、やがてマスコミに感づかれる。5月14日にはついに部屋に報道陣が殺到、その攻勢に押されたのか、親方がとうとう千代の富士は10日後に婚約を発表すると漏らしてしまう。相手の福岡の自宅にも取材が押し寄せ、事態を沈静化するため、正式の記者会見より1週間早く彼女は単独で会見を行なわざるをえなかった。 1982年9月30日のホテルニューオータニでの披露宴には、北の湖を上回る(マスコミの推定で)約2億円をかけたとされる。その模様はテレビ中継もされた。会場には取材席を設けて、マスコミには事前にそこで取材してもらうよう頼んでいたが、いざ開宴すると、芸能レポーターたちは会場を走り回った。《来賓や招待客にテレビカメラをぶち当てたり、ご婦人方の和服の裾にコードをからめて倒してしまったり。それでも知らん顔です》と、九重親方はマスコミ不信、特に民放テレビの取材スタッフの信じられない横暴ぶりに怒りを顕(あらわ)にしている
(九重勝昭『爆笑大相撲』日之出出版、1983年)。