
今から約80年前、アメリカで戦艦「大和」の主砲よりも大きな口径を持つ迫撃砲が開発されました。ただ、あまりにも巨大すぎ、なおかつ使う時期を逸してしまったため、試作で終わったそうです。
ビッグ・カントリーが造った「ビッグ・モーター」
英語で迫撃砲のことを「モーター(Mortar)」と呼びます。なので大口径の迫撃砲なら、さしずめ「ビッグ・モーター(Big Mortar)」でしょう。なかでも世界最大の迫撃砲といえるのが、第2次世界大戦中にアメリカが造った「リトル・デーヴィッド」です。 第2次世界大戦中、アメリカ陸軍は要塞のような堅固な防御陣地を破壊できる兵器を求めました。そこで考えられたのが、巨大な迫撃砲です。
砲弾を遠くに飛ばすためには、それなりに頑丈な砲身が必要ですが、砲の口径が大きくなればなるほど、砲身やその周辺機器も重くなって移動に手間がかかるようになります。しかし、砲弾を遠くまで飛ばす必要がなければ、砲身は口径の割に軽く短くでき、それに伴い周辺機器もコンパクトに、場合によっては省略することが可能です。これがさらに軽量・短砲身な迫撃砲や臼砲なら、重量を極限まで減らして展開・撤収も容易なものにできると考えられました。 このような発想に基づいて、一説ではドイツのジークフリート要塞線を攻撃するため、砲腔口径36インチ(914mm)の巨大な迫撃砲の開発が開始されます。ちなみにこの砲腔口径は、戦艦「大和」の主砲である46cm砲の約倍です。 ちなみに、完成したものは砲身長約6.7mで、総重量は約83tもありましたが、これがもしカノン砲や榴弾砲だった場合、この程度の重量で収まるものではありません。 使用する砲弾は、一般的な迫撃砲弾のような有尾翼弾ではなく、全周にライフリングが刻まれた重さ約1.7tもある無尾翼弾のT1榴弾で、発射時はこれとは別に約730kgの装薬も装填する必要がありました。 射撃時は、まず砲身を水平にして装薬(発射薬)が収められた薬嚢(のう)を挿入。続いて無尾翼弾のライフリングを、砲身のライフリングにかみ合わせる形で装填。これで射撃のために仰角をかけると、砲弾の重さに押されて薬嚢と砲弾自体も砲身の奥に収まり射撃できるようになります。そして発射に際しては、人員は砲の周囲から避難。有線式の発射装置で遠方から発射しました。 最大射程は約12kmですが、有効射程は約8kmとされています。またT1砲弾は、厚さ約3mの鉄筋コンクリートを貫通可能で、通常の地面に着弾した場合は直径8~10m、深さ4.5~5.5mの着弾孔が生じたといいます。
布陣も撤収も各12時間かかる!?
かくして、この「ビッグ(巨大)」な「モーター(迫撃砲)」には、「リトル・デーヴィッド」という愛称が付けられました。ただ、試作ということでMナンバーは付与されなかったため、型式番号はT1のままでした。 しかし、「リトル・デーヴィッド」の完成前にドイツのジークフリート要塞線は、第一線部隊が突破に成功します。そこで、今度は太平洋戦域で日本軍の堅固な防御陣地に使おうと考えられます。 ところが、リトル・デーヴィッドの設置には、事前に調査して発射の反動に耐えられる堅固な地面を確保しなければなりませんでした。また、輸送、組み立て、設置にも、分解した砲を何両もの専用の重量物運搬車台に載せたうえで、超大型のトラクターヘッドである40t牽引車M26で牽引する必要がありました。
ちなみにこのM26という牽引車は、第2次世界大戦のアメリカ製戦車運搬車M25「ドラゴン・ワゴン」のトラクター部分です。「リトル・デーヴィッド」は、分解しても戦車なみの重量級兵器でした。 また組み立て・設置する際も、クレーン車やブルドーザーなど、多数の重車両・重機材が必要でした。しかも設置に約12時間、撤収も同様に約12時間かかる代物でした。 こうなると、手間暇かけて大人数で苦労して設置や撤収を繰り返すよりも、航空爆撃や他の既存の大口径火砲での砲撃で代替できるため、一応は完成して運用の手順も決められたものの、「ビッグ・モーター」のリトル・デーヴィッドが実戦に投入されることはありませんでした。また、試験や研究もその後継続されたものの、戦後すぐの1946年に終了しています。 なお「リトル・デーヴィッド」については、従来、航空爆弾を地上で投射するための実験用発射装置(Bomb Testing Device T1)で、それを実戦向けに改良したといわれていましたが、実はこのBomb Testing Deviceは、本来の目的を隠すための秘匿名称だったとの説が有力視されるようになっています。