
JR鶴見駅は日本の鉄道開業日の翌日に開業しました。歴史ある東海道本線に設けられた駅です。しかし現在、東海道線の列車は停車しません。どうしてこうなったのか、その歴史をたどります。
なぜ鶴見に駅ができたのか
JR鶴見駅(横浜市鶴見区)は1872(明治5)年10月15日に開業しました。旧暦の9月13日です。日本の鉄道が新橋~横浜間で正式に開業したのが10月14日(旧暦の9月12日)ですから、その翌日にあたります。なぜ翌日かというと、当日は鉄道開業記念式典があったため、一般営業を実施しなかったからです。
なお正式開業前、同年6月12日(旧暦の5月7日)に品川~横浜間で仮営業が始まっています。約1か月後に川崎駅と神奈川駅が、10月に新橋駅がそれぞれ開業しているので、鶴見駅は日本で6番目に古い駅といえます。 日本初の鉄道路線である、現在のJR東海道本線上の駅ですが、2023年現在は東海道線の列車は停車しません。由緒ある駅を通過する理由は何でしょうか。 そもそも鶴見駅ができた理由は横浜市の公式ウェブサイトによると、東海道の1里塚があり、宿場町として栄えたからだそう。東海道五十三次には数えられていませんが、東海道起点の日本橋から2つめの川崎宿と3つめの神奈川宿の間に位置し、日本橋から5里の「市場塚」がありました。江戸から出発すると鶴見橋(現・鶴見川橋)を渡り、景勝地として賑わったといいます。宿というより、旅人の憩いの場所でしょうか。米粉で作った「よねまんじゅう」や、周辺で栽培された梨が名物だったそうです。『鶴見区史』によると、鶴見駅は現在より少し横浜寄りにあり、6つの駅の中ではもっとも小規模だったそうです。開業日の利用者は25人、29日まで20人~30人前後という記録があります。
なぜ鶴見は東海道線の通過駅になったのか
なぜ京浜東北線(と鶴見線)の電車しか停車しないのか――その理由は明示されていませんが、長距離列車と短距離列車の役割分担だと思われます。その背景には、ライバルの京浜電気鉄道がありました。 京浜電気鉄道は1899(明治32)年1月に六郷橋~大師間で運行を開始しました。開業時の社名は大師電気鉄道で、4月に社名変更しています。その後、南北に延伸を進めて、1905(明治38)年に品川(八ツ山橋)~神奈川間が全通。品川で東京市電に、神奈川で横浜電気鉄道に接続します。これで東京~横浜間の電車移動が可能になりました。JRの前身、官営鉄道にとって競合路線が誕生したわけです。 対抗策は高速化です。1914(大正3)年12月に新橋と上野を結ぶ計画の高架線路を建設して東京駅を開業したとき、あわせて東海道本線を複々線化、東京~高島町(後に横浜駅へ統合)間の電車運転を始めました。愛称は京浜線。のちの京浜東北線です。ところが京浜線は車両のトラブルが相次ぎ、12月26日に運行を休止します。運転再開は翌年の5月10日でした。 この複々線化において、従来の線路を京浜線が使い、新たな複線を東海道本線が使いました。プラットホームがあるのは従来の東海道本線側、つまり京浜線側です。そして鉄道省は、京浜線が桜木町まで直通運転する1915(大正4)年12月30日に以下の告示をしています。●大正四年十二月十五附公告東京櫻木町間直通運転開始 十二月三十日ヨリ東京櫻木町間電車直通運転開始シ同時ニ列車一部廃止時刻変更其他左記ノ通リ改定致候一)東京櫻木町間直通列車及横濱櫻木町間ノ列車ヲ廃止シ併テ東京横濱間列車ノ時刻一部変更致候二)蒲田、川崎、鶴見、東神奈川ニ汽車ハ停車致サス候 京浜線を「電車」、東海道本線を「汽車」と表記しています。京浜線で電車を運転する代わりに、東京~横浜間の直通列車(汽車)と横浜~桜木町間の汽車を廃止。さらに汽車は、蒲田、川崎、鶴見、東神奈川に停車しないと明記されました。
では横須賀線や相鉄直通線は停車可能か
その理由は車両の加速力です。電車は発進から停車まで機敏に動け、短い駅間に適しています。しかし汽車(蒸気機関車)はスピードが上がるまで時間がかかります。短い駅間で発車と停車を繰り返すよりも、長い駅間を走らせた方がいいというわけです。 加えて鶴見駅は開業以来、乗客が少なかったので、長距離列車は停めずに京浜電鉄への対抗心も込めて、近距離移動に便利な電車を停めた方がいいという判断もあったでしょう。
そんなこんなで、鶴見駅は東海道本線の列車に通過されてしまいました。ところで鶴見区には「鶴見駅中距離電車停車等推進期成会」という市民団体があり、JR東日本に対してプラットホームの設置要望活動を行っています。主に「JR・相鉄直通線」用を設置して欲しいとのこと。横浜市が算出した概算工事費は180億~200億円で、費用便益比は1.6以上と有望です。しかし実現可能性は低いと思われます。 鶴見駅は既出の路線のほかに、横須賀線や鶴見線、東海道本線の貨物支線である品鶴線や武蔵野線、羽沢線などが通っており、配線図を見ると非常に複雑な形状です。もはやプラットホームを増設する余裕はなく、仮に設置できたとしても、貨物列車とのダイヤ調整も難航するでしょう。 地下駅を設ければ貨物線の機能は維持できますが、費用がかさむこと必至です。ならば高架ホームとしたいところですが、すでに鶴見線の高架線がほかの線路を横切っているため、これより高いところに設ける必要があります。 名称だけを見れば、日本初の鉄道路線「東海道本線」の駅なのに東海道線の列車が停車しないというのは珍妙ですが、この状態に110年ほどの歴史があるのもまた事実なのです。