長野県出身の通称「普通選挙運動の父」と英語教育普及に尽力した妻【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.14】

1868年に長野県東筑摩郡山形村に生まれた中村太八郎さんは日清戦争後の社会問題に鋭い関心を示し、早くも1896年に社会運動家の木下尚江らと郷里である長野県松本で平等会を組織しました。

翌年に上京し社会主義者・片山潜らと社会問題研究会の結成に参画する等、松本と東京にまたがる社会運動組織者として活躍しました。問題解決には普通選挙制度の実現が必要との信念から、1897年に木下らと松本市に普通選挙期成同盟(普通選挙同盟会)を結成、日本初の実際運動と取組んでに、1899年全国組織の普通選挙期成同盟会成立の道をひらきました。 以来約30年普選法成立まで常に運動の中心に立ち、〈普選の父〉と呼ばれた。土地国有論者としても有名で、普選の父とも呼ばれています。

また、妻の中村キルビー・メリーさんは、1904年に慶応義塾で英語早期教育を開始しており、1920年にはコドモ英会話会を誕生させました。ダイレクト・メソッド(直接教授法)を研究し子供たちに実施したといいます。1923成人教育にも範囲を広げ、女子部を設置しました。 1935年に夫が先立つも日本に留まり、子供や成人女子を中心に英語教育普及に尽力したといいます。1937年芝パークセミナリと改称し、東京府の公認校となりました。 戦時中の苦難を乗り越え、戦後1950年キルビー学院と改称し、1952年には学校法人化をしました。享年80歳。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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