害虫を「天敵駆除」で対処…天敵移入事業の先駆者 【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.10】

南米産のヒアリが日本でも発見、殺人アリともいわれる危険な虫の上陸が話題となり対策が必要となっています。今回は日本で始めて害虫の天敵移入事業を実現した北海道出身の昆虫学者・素木得一さんを紹介します。

素木さんは1882年に北海道で私立函館幼稚園長、函館師範学校長などを務めた教育者の素木岫雲(しらき しゅううん)とその妻・由幾(ゆき)のの長男として生まれました。 妹には作家の素木しづさんがいます。札幌農学校(現在の北海道大学の前身)を卒業した後に、応用昆虫学を専門とし、1908年に台湾総督府農事試験場技師として台湾に渡り、後に昆虫部長、動物科長、殖産局植物検査所長などに就任しました。1917年に農学博士となり、1926年に台湾総督府高等農林学校教授と中央研究所技師に、1928年にS3)台北帝国大学設立にあたり理農学部教授となりました。1943年には農学部部長として植民地統治下の台湾の農作物害虫を調査し研究を行ない多大な功績を挙げました。

素木さんの害虫対策は1909年に台湾恒春でシロアリ研究を行ない、コウシュンシロアリ(恒春新白蟻)を発見。同じ頃、台湾ではイセリアカイガラムシによる街路樹への被害が甚大だったため、ワタフキカイガラムシの天敵であるベダリアテントウの放飼による「天敵による害虫防除」で成果を挙げていた”ケーベレ法”に見習い、ベダリアテントウを手に入れるために渡米し、台湾に輸入しました。

翌年、農商務省の許可のもと、台湾で増えたベダリアテントウをイセリアカイガラムシが大発生した静岡に導入し、静岡県立農業試験場が更に増殖させ、1912これを各県に配布し、いずれもすばらしい成果が得られたといいます。以後ベダリアテントウは日本各地で放飼されるようになりました。この事業は日本で初の天敵移入事業だったということです。

その他には1927年に飛行機の発達を利用して森林の害虫駆除に利用し、1934台湾のフトオアゲハが新しい種類であることの論文を発表し、世界に珍しい発見であると重視さてました。戦後は日本に戻り、日本応用昆虫学会会員となりました。著作には『昆虫の分類』『昆虫学辞典』などがあります。享年88歳で、長男の素木洋一(同墓)は窯業工学者でセラミックスの権威者だということです。

※「素木家」の墓所には、正面に素木家之墓とあり、右側に素木岫雲先生墓が建っています。墓誌は無く、墓石の裏面に「素木洋一建之」と刻まれています。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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