高知県出身・多くの役職を歴任した郵政マン【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.4】

日本郵政が民営化後初の最終赤字となりましたが、高知県出身、戦前の郵政官僚・三宅福馬さんをご紹介します。

1900年に高知県第一中学校(追手前高校)を卒業した三宅さんは、豊かではなかったため毎月8円の手当が出る東京郵便電信学校に入学しました。1902年に卒業した後、郵便局で働きながら東京外国語学校でロシア語を学び、1907年文官高等試験に合格しました。

そして1909年に東京郵便局鉄道郵便課長、翌年には初代東京鉄道郵便局長となり、母校の教官も兼ねるなど故郷に錦を飾ります。

1910年に年臨時発電水力調査局の事務官となってからはスイスやアメリカに留学し、電気事業の経営について研究しました。1918年に帰国してからは多くの役職を歴任し1924に退官となりました。

1929年に高知県の政治家・冨田幸次郎さんの推薦で台湾総督府交通局逓信部長に就任。日月潭発電計画を完成させました。 他にも満州国国務院法制局長、日本電気協会常務理事・富士飛行機監査役などを経て、49逓信省が郵政省と電気通信省に分かれると電気通信省運営委員会の委員、53郵政省郵務局経営調査室委員となりました。

俳句をよくし橙村と号しました。文筆も達者で『日本ゆうびん史随想』など単行本だけで13冊を上梓。没後、妻順子遺族らの手で編まれた伝記『橙村片影』があります。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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