
秋篠宮家の長男悠仁さまは6日午前、成年式の中心儀式「加冠の儀」に未成年の装束「闕腋袍(けってきのほう)」姿で臨み、「空頂黒※(※巾ヘンに責)(くうちょうこくさく)」を頭から外して「燕尾纓(えんびのえい)」が付いた冠をかぶり、成年となったことを公に示された。儀式は古式にのっとり、平安絵巻さながらに行われた。
装束の専門家として宮内庁に協力する霞会館記念学習院ミュージアム研究員の田中潤さん(日本近世近代文化史)によると、闕腋袍は脇が縫われていないため動きやすく、武官や子どもが着用し、未成年の「ハレの場」の装束として受け継がれた。悠仁さまは40年前の秋篠宮さまと同様の浅黄色の袍を着た。
未成年がかぶる空頂黒※は額当ての一種で、悠仁さまは秋篠宮さまが使ったものを着用。高さ約15センチの黒絹製で、頂が空いている。
燕尾纓は黒絹の2枚重ねで、冠の後ろから垂れ、先端は丸く、悠仁さま着用のものは長さ約57センチ。平安時代の古い様式が受け継がれ、現在では皇室の成年式でしか使われない。
加冠の儀は、成年の冠を固定するひも「掛緒(かけお)」を「パチン、パチン」と切る音が響く瞬間がハイライトとなる。田中さんは、かつては冠をかぶせる際、元服前の髪を結んでいたひもを切り、まげに結い直していたと説明。明治に断髪令が出された後も、掛緒をはさみで切る音が成年式の象徴として伝わっているとみる。
宮内庁によると、悠仁さまは天皇陛下から成年の証しとして、冠と燕尾纓、垂纓(すいえい)を受領し、制作費は約257万8000円。悠仁さまは加冠の儀の後、脇が縫われた成年の文官用の黒の装束「縫腋袍(ほうえきのほう)」に着替え、垂纓の付いた冠を着けて宮中三殿を参拝した。
田中さんは明治天皇の意向で、洋装化後も伝統装束が皇室に残ったと指摘。「日本が歴史や伝統を踏まえた国だということを、海外に視覚的にアピールしたいとの意識もあったのではないか」と話している。
〔写真説明〕加冠の儀で、燕尾纓(えんびのえい)の付いた冠を着けられる秋篠宮家の長男悠仁さま=6日午前、皇居・宮殿「春秋の間」(代表撮影)
〔写真説明〕「加冠の儀」に臨まれる秋篠宮家の長男悠仁さま=6日午前、皇居・宮殿「春秋の間」(代表撮影)
〔写真説明〕「加冠の儀」で天皇、皇后両陛下、秋篠宮ご夫妻にあいさつされる秋篠宮家の長男悠仁さま=6日午前、皇居・宮殿「春秋の間」(代表撮影)