米、拭えぬ苦い記憶=ベトナム戦後50年、教訓残す

 【ワシントン時事】南ベトナム(当時)の首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、ベトナム戦争が名実ともに終結して丸50年。軍事介入が失敗し、約5万8000人の兵士の命を失った米国にとって、苦い記憶は今も拭えないままだ。
 ワシントンの桜が満開だった3月29日、花見客が行き交うベトナム戦争戦没者慰霊碑の前で開かれた追悼式典に、南部バージニア州の退役軍人ダン・カービーさん(81)の姿があった。
 カービーさんは陸軍に徴兵され、1969年6月からベトナムに出征した。「地雷を踏んで吹っ飛ばされたが、幸い手と足は残っていた」と当時を振り返る。
 米国はベトナムの共産主義化が他の自由主義国家に波及する「ドミノ理論」を唱え、これを阻止する名目で軍事介入に踏み切った。しかし、米国から遠く離れた場所で何のために戦うのか、カービーさんには理由が見えなかったという。「正気ではなかった。あの戦争での教訓は、アジアの地上戦に巻き込まれないということだ」と訴えた。
 第2次大戦後、超大国となった米国は、ベトナムで自らの軍事力の限界に直面した。戦争の泥沼化と膨らむ戦費、増え続ける犠牲は、国民の厭戦(えんせん)気分につながり、大きな反戦運動に発展。しかし、米国はその後もイラクやアフガニスタンなどで軍事介入を繰り返した。
 ベトナム戦争に関する多数の著書があるサンディエゴ州立大のグレゴリー・ダディス教授(軍事史研究)は「ベトナム戦争は米国人にとってトラウマとなっているが、われわれは教訓を十分に学んでいない」と指摘。「ベトナムでうまくいかなかったことが、なぜイラクやアフガンで機能すると考えたのか、自問しなければならない」と批判する。
 米国は1973年までに撤退。ベトナムは米国が警戒する共産主義国として南北統一を果たした。それでも両国関係は近年、改善が進み、ベトナムは2023年、対米関係を中国やロシアなどと同じ最上位の「包括的戦略パートナーシップ」に格上げした。 
〔写真説明〕ベトナム戦争戦没者慰霊碑の前で、戦死した上官の名前を指さす米退役軍人のダン・カービーさん=3月29日、ワシントン

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