駄菓子を買いに。あの懐かしの味はいまも健在(東京都内)


昭和の子供たちよ 「バアサン店」に集合だ!

昭和のあの日! 

子供たちの世界の中心には、間違いなく“駄菓子屋”があった。

なけなしの穴空き50円硬貨1枚を握りしめ、ズックで駆ける駄菓子屋までの道。

店頭には早くも見知った顔の坊主頭に坊ちゃん刈りがたむろしている。そして、その中のひとりや二人は必ず垂らしている青っ鼻!

建て付けの悪い引き戸を開けると、無秩序のように見えながら整然と並べられた商品の奥に座る老齢の女性店主。

なぜか駄菓子屋を切り盛りしているのはオバアサンが多かった。そしてそんな店をこうも呼んでいた。

「バアサン店!!」

もちろん、その呼び方には愛と夢が詰まっていた。子供たちの憧憬が散りばめられていた。

江戸時代から続く由緒ある駄菓子屋 上川口屋(最寄駅:雑司ヶ谷駅)

創業1781年。もともとは、加賀藩主・前田利常公の息女・自昌院殿が鬼子母神に寄進したことから、加賀藩御用達となった飴屋がその前身という、由緒正しい歴史を持つ駄菓子屋。現在、店を守るのは13代目の内山雅代さん。「最近は子供客が少なくなったけど、もう立派になった昔からのお客さんや外人観光客に人気で、アジア圏のお客さんも多いのよ」

爪楊枝に刺さった駄菓子は、今も人気の「きな粉アメ」。楊枝の先が赤色ならアタリでもう1個
上川口屋(最寄駅:雑司ヶ谷駅)
https://matomeshi.jp/articles/408

 どこからともなく伝わってくる本日のオススメ情報。

 愛すべきサッカリン。心踊る着色料。

「ごはんだよ〜」

 夕御飯の時間を告げに親がやって来るその時間まで、子供たちはいつまでも駄菓子屋の尋常ならざる引力の虜であった。

 そんな駄菓子屋は今も健在だった。涙が出ることに“店主=バアサン(失礼!)の法則”も健在だった。

 駄菓子の似合わぬ壮年紳士が、「今日はアンコ玉1個ね」と、しゃべり口調までも昭和の時代に戻って、
10円玉を渡している。駄菓子屋は、昭和の頃の子供だった我々に、昔と何ひとつ変わらない引力を発散し続けていた。

子供にも、大人にも宝の山が下町に健在 駄菓子屋木村屋(最寄駅:千駄木駅)

駄菓子のほかボール、紙飛行機といった玩具も並ぶこの店は、1948年創業。かつては界隈に数店舗あった駄菓子屋も、今はこちらだけという。しかも「後継者もいないし、ここも私の代でおしまい」と店主・木村せつ子さんは少し寂しそうに笑う。そうなる前に、ぜひ足を運んでほしい。

紙風船やシャボン玉といったオモチャがあるのもうれしい。でも、どちらを買うか迷うことしきり
駄菓子屋木村屋(最寄駅:千駄木駅)
https://matomeshi.jp/articles/409

 ただしかし。平成の子供たちにとって、今や駄菓子屋は世界の中心ではなくなってしまっているのかもしれない。ゲームは子供を家に閉じ込め、コンビニでも駄菓子は売られている。

 それでも残るモノは残る。平成の現在、店も商品もその数は決して多くはないが、残していかねばならない。

昭和の子供たちよ。駄菓子屋の世界へ足を踏み入れ、虜になるべき時は今なのだ!

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