武家屋敷に滞在する新たな価値。城下町の空き家問題を解決する、凄腕コーディネーター

全国公募により民間と連携してまちづくりに取り組む宮崎県日南市。油津商店街再生事業を遂行した木藤さん、マーケティング専門官として企業誘致や人口動態の変革に取り組む田鹿さんに続き、3人目の民間人として委託を受けたのが、飫肥のまちなみ再生コーディネーターの徳永煌季さんです。城下町で空き家となった武家屋敷を再生し、飫肥に新たな付加価値を創出している徳永さんに、お話を伺いました。

1000平米を超える敷地を有する武家屋敷の空き家を再生

日南市が、飫肥にある武家屋敷の空き家問題を解決するために「まちなみ再生コーディネーター」を全国公募したのは2015年。この募集に、僕が所属するKiraku Japan合同会社(当時パシフィック・イノベーション・ジャパン)が応募し、僕が専任として、「まちなみ再生コーディネーター」を拝命いたしました。

応募のきっかけになったのは、お付き合いのある投資家の方がたまたま日南市とご縁があり、飫肥を案内してもらう機会があったこと。それまで、関東で働いていて、日南はもちろん宮崎県にも行ったことがなかったので、「なんて素晴らしい町並みなんだろう」と感動しました。

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飫肥は、飫肥藩5万1000石の城下町で、石垣や堀跡、武家屋敷が多く残っている場所。しかも、城跡の中には小学校が建てられていて、子どもたちが石段を登って登下校するという、珍しい地域です。

ただ、風情ある町並みのなかに、空き家となった武家屋敷や洋館がいくつもあります。建物は大きく土地も1000平米と広いため、仮に税金で修繕しようとすると、1軒に数千万円を要するという課題を抱えていました。

空き家になった武家屋敷

「まちなみ再生コーディネーター」のミッションは、その大規模空き家の再生です。僕らには、外資系金融機関に勤めていたという強みと、これまでにホテルのコンサルティングやウェブ制作などを手がけてきた実績があります。だから、行政のお金を使わずに空き家問題を解決できるかもしれないという期待から選ばれました。

地元の人たちで守り継がれてきた飫肥を、外からの視点と資金で再生するという、あまり例のない取り組み。他の地域の真似事ではなく、第三者の立場、金融バックグラウンドを持つ立場でチャレンジしたいと思いました。

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競合ではなく協働関係になるために、宿を選択

飫肥のまちづくりは、国の重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)に選ばれた40年以上前からずっと続けられています。最初は、新婚旅行ブームで日南海岸がとても人気だったころ。たくさんのカップルが日南に来るのに、飫肥には来てくれないことが課題となり、飫肥城の大手門を復元し、城下町をきれいに整備したのです。

復元された大手門

以降、建物や石垣を合わせると150ヶ所以上再建・復元されていて、美しい景観を代々守り継いでいます。

そんな飫肥に生まれてしまった、武家屋敷の空き家。僕らはこれを宿に再生することにしました。というのも、美しい町並みを求めて観光客はたくさんいらっしゃいますが、飫肥に日本らしい宿泊施設がなく、ほとんどが日帰りで別の場所に行ってしまうから。お土産屋さんや飲食店はありますが、城下町に宿泊するという体験ができなかったのです。

飫肥にない新しい価値を創出することで、今ある事業者と競合関係にならず、連携してまちを盛り上げたい。その想いから、宿への再生事業がスタートしました。

1日1グループ限定の貸し切り宿が誕生

金融出身とはいえ、前例のない取り組みなので最初の資金調達は大変でした。時間はかかりましたが、どうにか、宮崎銀行や投資ファンドから約9000万円の投融資と伝建地区の助成金約3000万円が決まり、総事業費1.2億円の古民家再生事業が始まりました。

まず改装したのは、20年以上空き家だった、築約60年の勝目(かつめ)邸と、築100年以上の合屋(おうや)邸の2棟。設計は、外部のノウハウを取り入れるためにも、京都で町家や古民家再生、和風の新築物件などで多くの実績がある、ローバー都市建築事務所さんに依頼しました。施工は、もちろん地元の工務店に発注しました。

勝目邸

さらに、中級家臣武士の邸宅にある長屋門が改築された合屋邸は、空間プロデュースを乃村工藝社さんに依頼。江戸時代の風合いを残しつつ、モダンでデザイン性の高い内装に仕上げていただきました。

合屋邸

そうして、資金調達から約半年後の2017年4月、空き家だった武家屋敷は宿泊施設「季楽 飫肥」として、1日1グループ限定の貸し切り宿に生まれ変わったのです。伝統家屋である武家屋敷に滞在するという、飫肥に生まれた新たな付加価値は、現在多くの方に好評をいただいています。

この宿を永続させるために、近隣の団体や事業者さんなどを巻き込み、まち全体で管理運営ができる仕組みを作る必要があります。そこで、運営は飫肥城下町保存会にご担当いただき、庭の管理はまちづくり協議会の有志の皆さんに依頼しております。

飫肥藩がつくった文化を後世にまでのこしたい

2017年7月、渋谷に本社を構える映像・ウェブコンテンツ制作企業が、日南にサテライトオフィスを構えました。選んでくれたのは、飫肥。これも、空き家だった武家屋敷をリノベーションしました。

リノベーションしたサテライトオフィス

外から企業が入って来たことで移住者が増え、違う視点を持つ人を巻き込める環境が整いつつあるのは、僕にとって追い風だと感じています。彼らもまちづくりに巻き込みながら、新しい価値を作っていきたいと考えています。

いま地方創生を語るとき、県ではなく藩レベルで語ることが多いと感じます。江戸時代のものが、いまの日本で再評価されているのかもしれません。そこでいうと、飫肥には400年前に始まったまちがずっと受け継がれていて、それがきっと100年先も続いていきます。

きれいな景観と文化を持つまちを継続させるために、住む人や観光する人が、「飫肥っていいね」と思ってもらえるように、いまできることを全力で頑張りたい。「飫肥」という地名を、日本中の誰もが読めるようになれば、成功だと言えるかもしれませんね(笑)。

(取材・文:田村朋美、写真:増山友寛、「季楽 飫肥」ご提供)

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