
東京五輪を控え、慢性的な建築人材不足が問題ですが、岡山県出身の明治・大正期の鉄筋コンクリートのパイオニアである柴田畦作さんをご紹介します。
1896年に東京帝国大学工科大学を卒業した柴田さんは、九州鉄道会社技師となり、のち第三、第五の各高等学校教授に就任し、東京帝国大学工科大学助教授に転じ次いで教授となりました。その後、土木工学研究のため独仏米に留学し、帰国後には1905年に工学博士の学位を得ました。
日本で初めて鉄筋建築を研究した人で、応用力学および構造学に造詣が深く、福島県原町市の無線送信所主塔200mを鉄筋で造り、明治神宮の神橋も設計しました。
著作「工業力学」は廣井博士か書いた「築港」と並び、日本の近代土木工学の基礎が生んだとされており、明治・大正時代では建築の教科書とされたといいます。
前述の廣井勇さんはは築港および橋梁技術の世界的権威として知られ、柴田さんは本格的鉄筋コンクリート建築の祖として知られていました。 建築学科出身の山口孝吉さんと協力した代表的な建築物は今も現存しており、京都の七条大橋(鉄筋コンクリートアーチ橋)や、東大本郷キャンパス理科大学化学教室などがあります。
[写:HiroTjp@fliker]