故郷の平戸に戻り、平戸ならではのモノ作り。アイデア、技術、人、モノ全部シェアしたい。

自転車でもバイクでもない、電気をエネルギーとした自転車バイク「Eサイクル」。年間50台限定のオーダーメイドを、開発から販売まで手がけるのが、ISOLA株式会社の有安勝也さんです。太陽光を使った再生可能エネルギーで、Eサイクルを走らせようと考えたのはなぜだったのか。開発に至った経緯から製造秘話、平戸でのモノづくりにこだわる理由を聞きました。

「帰ってこんね」故郷からの声で、平戸へ

僕は生まれも育ちも長崎県平戸市。自動車整備工場「有安オート」でものづくりをする祖父、父を見て育ちました。幼いころから周りには工具があふれ、小学1年時の「夏休みの工作」では、電気をつけるロボットを父と開発し、先生に驚かれたことも。市内の中学卒業後は、平戸を離れて工業高校の機械科に進学しました。

ただ、そのまま実家を継いで、ものづくりの道へ進んだわけではありませんでした。

高校卒業後に就職したのは大手自動車メーカーで、販売職に従事。人に接するサービス業がしたくて選んだのですが、途中で全く方向性の違うイタリアンに目覚め(笑)、退職。本場ヨーロッパの味に触れるため海外での旅を重ねたあと、長崎県佐世保市のイタリアンレストランで2年間修業を積み、その後、東京目黒区のイタリアンレストランに就職しました。

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しかし、「飲食の道を極めていこう」と期待に満ちていたのもつかの間、職人特有の厳しい世界に、心も体もボロボロになってしまったのです。「上京して、せっかく見つけた自分の道」を失った挫折感でふさぎ込んでいたとき、心配した両親の「帰ってこんね(帰ってきなさいよ)」の一言で胸がいっぱいに。そんな紆余曲折を経て、2005年にようやく、生まれ故郷・平戸に戻ることにしたのです。

久しぶりに帰省し「有安オート」で働き始めると、子どものころから僕を知っている近所の人が、「おかえり」「帰ってきたとね。がんばらんとね」と、次々と声をかけてくれました。そのあたたかさに心がほぐれていく自分に気づき、「ここで生きていこう」と、腹が決まりました。

人がつながり、アイデアが広がる

平戸に戻って10年以上がたった今、改めて思うのは、ここは“暮らし方の選択の幅が広い場所”ということです。平戸に住む人にとって、魚や野菜は買うものではなく“海や畑からとるもの”。自給自足に近い生活をしようと思えばできます。家に帰ったら、玄関前に海の幸、山の幸のおすそ分けがどさっと置いてあることも日常茶飯事。かといって、ネット環境は都心と変わらないので、仕事も生活も現代的な暮らしを選択できます。

しかし物理的には、空港から車で2~3時間かかり、およそアクセスがいい場所とはいえません。九州の端にある島なので、どこかに行くために立ち寄る場所でもない。だからこそ、Iターン、Uターン、旅行者も含め、「平戸」という土地に何らかの目的や思いを持って来る人が多いんですよね。それもあってか、自分のアイデアや提案が次々といろんな人につながり、活動の幅が広がっていくことがたくさんあります。

平戸大橋を渡って平戸市へ

たとえば、2016年に愛知県から平戸に移住してきた、ゲストハウス「コトノハ」のオーナー、石黒さん。おもしろそうな人が来たらしいとの噂を聞き、初対面でしたが家での飲み会に誘ってみたんです。すると二つ返事で来てくれて、「古材を使ってゲストハウスを作りたいんだ」という思いを発信してくれました。

この思いに、和菓子の熊屋8代目の熊屋くんや、オランダから移住してきたレムコーさんなど、僕を含めた複数の仲間が「手伝うよ」と集結。それぞれの仕事の合間や休みの日に大工仕事に励み、2017年に手作りのゲストハウスが完成しました。

自分から一歩近寄れば、相手はそれに呼応するように2歩、3歩と近づいてくる。そんな受け入れの土壌が、平戸の最大の魅力。国際貿易港として栄えてきた歴史と風土が、その寛容さを育んできたのかなと思っています。

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平戸の恵みで走る「Eサイクル」を開発

さて、平戸に戻って3年がたった頃に話は戻ります。自動車整備士の資格を取り、「有安オート」の一員として自信がついてきた2008年、全国的なガソリン代の高騰をきっかけに、電気自動車(EV)が流行り始めました。

興味を抱いて情報収集を進めていくと、ガソリンエンジン自動車を電気自動車に改造して作る「コンバージョンEV」が注目を集めていると分かってきます。モーターやバッテリーを積んで走らせる電気自動車は自分でも作れるのではないか。モノづくりへの情熱がむくむくと沸き上がってきました。

そこで、電気自動車を作っている全国各地の企業を訪れ、モーターや部品について教えてもらい、試しに2台作ってみることに。しかし、たしかに自分で作れはしたものの、200万円を投資しても100キロしか走れるものしか製作できませんでした。「もっとコストパフォーマンスよく、電気で走る乗り物を作れないだろうか。そこで出てきたアイデアが「二輪車にする」、でした。

軽ければ軽いほど、少ない電力で長く走れます。ならば、昔の自転車バイク、ペダル付きのオートバイのように、自転車にモーターをつければいいのではないか。試行錯誤を繰り返し、構想から約1年後に、待ちに待った自分専用のEサイクル、それも20円で100キロ走れる優れものが完成しました。

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当初は、販売を目的にするつもりはまったくなく、「起伏の多い平戸内の移動手段として、最高の乗り物ができた!」という満足感しかありませんでした。太陽光という平戸の恵みを生かして走る。それが気持ちよくて、毎日のように乗り回し、家族に自慢していました(笑)。

Eサイクルが注目されるようになったのは、「電気バイクに乗る人」と長崎新聞に載った記事がきっかけとなり、東京・幕張で開催された国際展示会に出展させてもらったことでした。「販売予定もないのにいいのかな」と及び腰で参加したところ、イベントのレポート記事が拡散し、日本全国から問い合わせが殺到する事態になったのです。

1日に50件以上のメールが届き、内容のほとんどは「Eサイクルを注文したい」「いくらなのか」というもの。想定していなかったことなので、正直かなり戸惑いましたが、「Eサイクルを欲する人がこんなにいるのか」を知り、本格的に開発・製造に取り組むことを決めました。

平戸から発信することにこだわりたい

Eサイクルは注文を受けてから作る完全オーダーメイドなので、年間で作れる数は限られています。今は、年間50台を制限に開発を続けています。きっと、安価で量産できる体制を作るために、海外の工場にアウトソースしたらいいという意見もあるでしょう。

でも、僕はEサイクルを大量生産したいとか、特許を取得して技術を守りたいとか思っていないんですよね。海外で大量生産ではなく、「平戸から発信する」ことにこだわりたい。平戸の自然エネルギーを使って、平戸ならではの付加価値をつけた、オリジナルのものづくりを続けたいと思っています。

そして、アイデアはシェアすることで必ずよりよいものになると考えます。自分だけで持っていても、いつかは陳腐化してしまう。オープンにすることで、誰かがそこに新しい要素を入れると、インスピレーションは広がっていくと思うのです。

だからEサイクルも、基本的な作り方はお客様にシェアしていきたい。近いうちに作り方をオープンにして、組み立てキットのようなものを作りたいと思っています。お客様が組み立てる中で「この部分をこうしてみよう」と、僕にはない発想を加えていく。そうすればEサイクルは、何倍ものスピードでよりよい乗りものへと進化していくはずです。新しい価値観が合わさって、モノづくりのヒントが広がっていくとおもしろいですね。

アイデアも技術もなんでもシェアする考えで、自分たちの生活を良くしていくためのものづくり。きっとこれができるのも、「平戸だから」かもしれません。

(取材・編集:田村朋美、文:田中瑠子、写真:増山友寛)

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