米沢市の鯉料理代表 「甘煮」

毎年5月1日の「5(こ)1(い)の日」に山形県米沢市の上杉神社では「米沢鯉供養祭」が執り行われます。米沢鯉商組合が昭和35年から始めたこの供養祭は、上杉神社の池に生後3年の鯉5匹を放生することで養鯉業等に携わる人々が鯉への感謝の気持ちを表します。

米沢の食用鯉の生産量は年間約260トンで、平成26年度は約1万7500匹の鯉が主に甘露煮等に加工されて県内外に出荷されました。

米の養鯉の歴史は江戸時代中期にまで遡ります。海から遠く離れた米沢では新鮮な魚介類が手に入りにくく、日常的に獣肉を食べる習慣も無かったために、領民はタンパク質の不足からむくみや、特に乳児を抱えた女性の母乳の出が悪くなる等の症状に苦しめられていました。1802年、米沢藩の前藩主であった上杉鷹山は、養鯉の先進地であった福島県の相馬藩から稚鯉を持ち帰らせて城の濠で育て、家臣にも屋敷に池を作り鯉を飼う事を奨励しました。タンパク質、ビタミン、鉄分、カルシウム等の豊富な鯉は、当時の人々にとっては大変栄養源となり、やがて米沢を代表する産業のひとつとなりました。

清流と北国ならではの冬の厳しい寒さに耐えて育った鯉は3年で50~60センチメートル、およそ2キロに成長します。肉の締まった、臭みの少ない鯉は市内の料理店で「あらい」や、味噌で煮込んだ「鯉こく」等に調理されて提供されています。

米沢の鯉料理では「甘煮」と呼ばれる甘露煮が有名です。鯉を厚く輪切りにして砂糖、醤油、みりん等で煮付けた甘煮は、お盆やお正月、祝い事の席には欠かせない郷土料理です。また病人や産後の女性の滋養強壮のために、米沢の人々に親しまれてきました。各家庭で調理されていた甘煮も今ではお土産として店先で見ることが多くなりました。

最近では米沢牛、館山りんごと並ぶ名産品とされながらも、米沢の養鯉業は消費量の低下や後継者不足の問題、2003年のコイヘルペス騒動の風評被害等で年々規模が縮小していました。近年の餌代の高騰による打撃で更なる苦境に立たされています。現状を打開するべくイタリアンのシェフとのコラボレーション等、若者をターゲットにした商品開発の新しい試みもなされるようになりました。

江戸時代から続く米沢の鯉料理の文化は、現代の食生活に即した進化が求められています。

[写: yy@fliker]

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