零戦じゃない…? 岐阜の博物館にある謎のレプリカ機 『風立ちぬ』の技師が生んだ幻の世界水準機だった

第2次大戦中の日本軍戦闘機で最もよく知られた存在でもある零戦は、実機と原寸模型あわせ複数が日本各地で保存。しかし、零戦に似て非なる存在の世界唯一のレプリカが岐阜県の航空宇宙博物館で展示されています。

零戦の始祖として誕生

 岐阜県各務原(かかみがはら)市には、かつて旧日本陸軍の各務原飛行場(現在の航空自衛隊岐阜基地)があった由縁から、現在、日本有数の航空博物館である「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」、通称「そらはく」があります。 ここの目玉というと、復元された三式戦闘機「飛燕」の実機展示でしょう。2023年現在、世界で唯一の完全なる現存機で貴重な機体ですが、その近くに天井から吊られて宙を飛ぶような形で展示されている灰緑色の機体があります。

 同機は一見すると、第2次世界大戦における旧日本海軍の代表機、零式艦上戦闘機(零戦)のようにみえます。しかし、実はその原型となった試作戦闘機の精密な原寸模型なのです。 このレプリカは正式名称「十二試艦上戦闘機」、通称「十二試艦戦」といい、実機は1939(昭和14)年に製作されています。同機は海軍がそれまで使用していた九六式艦上戦闘機(九六式艦戦)の後継として三菱重工業へ依頼した「新型機」で、1937(昭和12)年に開発が始まりました。 しかし海軍が出した要求書には、九六式艦戦より70km/h以上速い最高速度500km/hや、航続距離の倍増、国産戦闘機としては前例のない20mm機関砲の搭載など、一見して実現困難な高い目標値が示されます。一方で、実戦部隊からは速度性とは相反する格闘性の重視も求められます。こうした高いハードルをクリアするため、三菱重工業では堀越二郎技師を設計主任に任命しました。彼はスタジオジブリ制作のアニメ映画『風立ちぬ』で主人公のモデルとなった人物です。

墜落を乗り越えたことで傑作機へと昇華

 このような新型戦闘機の高い要求性能を達成すべく、三菱重工業の堀越技師と29名の技術者たちは徹底した軽量化でクリアしようとします。たとえば主翼の主桁には、より軽くて強度のある新素材「超々ジュラルミン(ESD)」を多用しました。また空力的に優れている沈頭鋲も、九六式艦戦に続いて用いられ、それまでに培われた日本の航空技術を結集させることで開発に当たります。

 こうして生まれた試作機は、1939(昭和14)年4月1日、愛知県の大江工場(名古屋市港区)から出荷されます。行き先は初飛行を実施するための各務原飛行場。ただ、直線距離で約40kmある道のりを運ぶために用意されたのは牛車でした。 結果、せっかく完成した十二試艦戦は、牛車に載せるために分解されて各務原まで運ばれ、彼の地で再度組み立てられ、初飛行へと挑みました。ただ、堀越技師らの優れた設計の甲斐あって、十二試艦戦は海軍から要求された目標値を達成するとともに、高い操縦性も併せて実現することに成功します。 性能的には当時の世界水準に達し、充分すぎるものでした。しかし、そこから零戦として量産化に至るまでの道のりは、決して順調とはいかなかったのです。 1940(昭和15)年3月11日、十二試艦戦の試作2号機が急降下試験中に空中分解を起こして墜落、操縦していた奥山飛行士が死亡する事故が発生します。これは水平尾翼の昇降舵下面に取り付けられていたバランス用の重り「マスバランス」が脱落して、昇降舵がバタバタと振動(フラッター)を起こしたことが原因でした。 そこでマスバランスの取付け強度を上げることで、十二試艦戦は飛行機としての高い安定性を手に入れます。こうした教訓は量産機である零戦一一型にも活かされ、水平尾翼の位置も含めた胴体後部の設計の見直しにも繋がりました。

アニメ映画『この世界の片隅に』監督もお手伝い

 このように零戦の原型となった十二試艦戦。初飛行した地が各務原であったことから、そのレプリカが岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で展示されるようになりました。 レプリカ製作のきっかけは同博物館の増築です。増床による展示スペースの拡大や展示物の充実などで、2018年にリニューアルオープンすることを計画。それに合わせて展示すべく十二試艦戦の原寸模型が木製で作られました。

 ちなみに、当初はリニューアルオープンの目玉として前述の映画『風立ちぬ』に関する特設コーナーを作るプランもあったそうですが、それは実現しませんでした。ただ、堀越技師の代表作である零戦にちなんだ展示の検討を重ねた結果、各務原で飛行した最初の姿を紹介するため、量産型の零戦ではなくあえて十二試艦戦が選ばれたそうです。 十二試艦戦の原寸模型の製作にあたっては、アニメ映画『この世界の片隅に』で監督を務め、自身も零戦を研究している片渕須直氏が塗装色の監修を行ったほか、数々の日本陸海軍機の研究家らの協力も得て完成に至っているため、レプリカとはいえ極めて精密なのが特徴です。 前述したように同機は、量産型である零戦と比べて後部の胴体が短く、尾翼付近で細くなり水平尾翼の位置が低くなっているなど細かく異なっています。またプロペラは2枚式でスピナー(先端の三角形型のカバー)もなく、アンテナ支柱は前方に傾斜するなどしており、そういった違いも見事に再現されました。なお、前出のマスバランスも、水平尾翼の昇降舵下面に再現されています。 一見すると零戦、でもよく見ると別の機体という岐阜かかみがはら航空宇宙博物館のレプリカ「十二試艦戦」。こだわりの詰まった機体は、今日も天井から博物館を訪れた人々に対して、岐阜・各務原における航空機産業の関わりとその歴史を伝えています。

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