「いい顔してるね」と言われるような死に顔で死にたいものだ

人間の価値は顔で決まる。と言えば差別主義者だと言われるだろうか。私たちが遺された人たちに最期に見せるのは死に顔であり、その後も思い出として残り続ける。のっぺらぼうでもない限り顔の無い人間はいない。「顔」について考えてみたい。

■ルッキズムと不浄観

1月8日に放送された「ちびまる子ちゃん」「『成人の日』の巻」の内容がネットで物議を醸している。まる子が「成人の日」を過ごす1日を描いた話で、親友のたまちゃんと一緒に写真店から出てきた晴れ着姿の女性たちを見て「綺麗だ」「美人」だと話していると。それまでの女性と比べて明らかに均整のとれていない女性が登場。「すごいのが出てきた」などと声をひきつらせた。その後も、着物は立派だけど似合うかどうかは別などと好き放題の言い様であった。この内容が人間を外見で判断する外見至上主義「ルッキズム」だと批判する声があがった。この話は原作者・さくらももこ脚本で、彼女の本来の作風からは大きく外れるものとは思えない。しかし見た目よりも中味で判断しようとの姿勢は結構な話ではある。しかし実際はミスコン中止などの声が挙がる一方で、あいも変わらず「イケメン」が尊ばれている。美の規準は人それぞれであり、その時代・民族・文化に「美人」はいるが、いつの時代も美人が損をすることはない。

■ルッキズムを批判した釈迦

この「ルッキズム」を2600年近く前に批判したのが釈迦だった。釈迦は裕福なバラモン(インド最高位の僧侶)が自分の娘を妻にしてもらいたいと頭を下げた際、「糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものなのだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ」と言って断ったという。どんな美人だろうと人間の身体など糞尿が詰まった糞袋というわけである。釈迦は人の身体を不浄なものとして見ることで、特に異性に対する欲望を捨てよと説いた。その後、仏教ではその名も「不浄観」という人間を不浄なものとしてイメージして執着を捨てさる瞑想法が確立された。

釈迦の言う通り外見に囚われ執着するルッキズムは愚かな行為であるだろう。しかし私たちに視覚がある以上やはり外見を無視することはできないのではないか。

■「いい顔」とは

例えばトップアスリートたちの祭典。オリンピックやワールドカップ、駅伝。特に興味はなくても、たまたま観たらそのまま惹きつけられて最後まで観てしまうことがある。彼らの顔は実に「いい顔」をしている。勝った顔はもちろんだが、健闘空しく敗れた顔もいい。全力を尽くした汗と努力が滲み出る顔だ。あるアスリートを見た時などは、ルッキズム的に見れば個人的趣味とは全く相容れない造形だった。しかしメダルを取った時の顔は、眩しいほどに輝かしくとても美しく見えた。これが戦いの場を降りた素顔になるとまた以前と同じ印象になるのだから不思議なものである。

結婚式や出産など、人間は心底幸せな時もいい顔をする。「イケメン」ではなくても、やたら人を引きつける魅力のある人がいる。見た目はかっこよくなくても「いい顔してるね」と言いたくなる瞬間がある。やはり人間は顔である。造形の話ではない。一見、無感情な能面。これが能の名手にかかる複雑玄妙に変幻する。内なる人格や感情は外見に、顔に現れてくる。

■死に顔と遺影

私たちの最後の顔は死に顔ということになる。不幸にも事故や何かで遺体が帰らない場合もあり、元の姿とは言えない状態で発見されることもある。ほとんどの人は、できることなら安らかな表情で、家族からは「いい顔してる」「眠っているみたい」だと言われて見送られたいと思うだろう。それは遺された家族にとってもそうである。死に顔は死んでいるのだから内面も感情も無い。 しかしその顔には遺された人たちの思い出が投影され生前の記憶が浮かび上がっている。それが安らかな顔であるなら、悲嘆に暮れる家族にとっては慰めになるだろう。

私たちが仏壇に手を合わせる対象は何か。一様には言えないが、順番としては遺影、位牌、本尊といったところでないだろうか。本来仏壇の中で最も尊ばれるべきは鎮座する御本尊である。しかし私たちの多くは仏壇とはそこに眠る家族の家だと思っている。また、仏壇がなくても本尊がいなくても、遺影を飾っておけばそこが亡くなった人の居場所となる。そこにはその人の「顔」があるからだ。

■いい顔で死ぬ

人間の価値は顔に出る。そのためには「糞袋」としての顔には囚われず中身を磨いていくべきである。生前に徳を積めば「いい顔」になれるかもしれない。幸運にも最期に死に顔を見せられるなら、死してなお「いい顔してるね」と言われるようになりたいものである。

■参考資料

■「『ちびまる子ちゃん』最新回が“ルッキズム”と物議…振り袖姿の女性に『すごいの出てきた』」とまる子が皮肉」 WEB女性自身 2022年1月13日配信
■中村元訳「ブッダのことば スッタニパータ」岩波文庫(1984)

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