中古車売場の端になぜフェリー桟橋? 阪神大震災&明石海峡大橋が命運わけた“神戸の海の玄関口”

神戸市東灘区の商業施設「サンシャインワーフ神戸」の敷地隅には、フェリーの発着に使われていた可動橋が残っています。かつてここには、3隻が同時出港するほど目まぐるしく稼働していたフェリーターミナルがありました。

世界一長い雲梯・オートバックスの横にフェリー乗り場?

 神戸市東灘区青木(おおぎ)の「サンシャインワーフ神戸」は、約4.4万平方メートルの広大な敷地にカー用品店、家電量販店、飲食店など16店が入居する複合商業施設です。海沿いのフリースペースにある「世界一長い雲梯」(149.992m、はしごの数556本)では子供の歓声が絶えません。その雲梯の近くには、フェリーの接岸時に陸地と船を繋ぐ可動橋が2か所設置されています。  可動橋はすでに使用されず鉄柵で囲われているものの、手前側はカー用品店「オートバックス」の中古車コーナーや路線バスの乗り場となっており、すぐ近くで見ることができます。この可動橋が現役だった頃、この一帯は西日本有数の巨大フェリーターミナルでした。

 この敷地は、1999(平成11)年まで「東神戸フェリーセンター」(東神戸公共ふ頭。青木港)があり、現在も運航中の「ジャンボフェリー」(高松方面)、「宮崎カーフェリー」や、既に廃止となっている「徳島阪神フェリー」や、「バンパックフェリー」(愛媛県・新居浜港行き)など、多くのフェリーがここを拠点としていました。 今も敷地の北西には2棟あったターミナルビルのうち1棟が残り、「船客待合所」看板やレストラン「フェリー」の看板など、“海の玄関口”としての名残を見ることができました。しかしこの建物も2022年秋に解体作業が始まり、間も無く姿を消します。 全盛期には12航路・1日100便近くのフェリーが発着し、1995(平成7)年に発生した阪神大震災では多くの救援物資の拠点ともなった「東神戸フェリーセンター」の現在を追います。

全国の「フェリーターミナル」の先駆けとなった東神戸港 震災時には命綱に

「東神戸フェリーセンター」は、バラバラに発着していた各社フェリーを集約するため1970(昭和45)年に開設。切符の販売、給油、乗務員の休憩所まで各社の共同利用を可能としたターミナルの存在は、自前の拠点を持てなかった海運業者のフェリー参入を続々と呼ぶことに。以降、大阪南港・東京港など同様のターミナル開設が続きます。 いま「サンシャインワーフ神戸」に残るバース(フェリーの発着スペース)は2か所ですが、かつては4バースが稼働。当時はまだ本州・四国間に架橋がなかったこともあり、四国方面への便は特に多く、いまの3倍に当たる15往復体制だった「ジャンボフェリー」(「ニュージャンボフェリー」含む)や「徳島阪神フェリー・愛媛阪神フェリー」などが運航されていました。 なかには3隻が同時出港する時間帯もあり、フェリーセンターはいつも人でいっぱい。最寄り駅(阪神本線 青木駅)から800mほどの沿道は、荷物を抱えた人々が昼夜を問わず歩いていました。

明石海峡大橋の開通がとどめに

「阪神大震災」が発生した1995(平成7)年1月17日早朝、入港しようとした「徳島阪神フェリー」が発した無線連絡にいっさい応答がなく、船は急きょ大阪南港に向かうことになったといいます。 その頃、港は通信手段がすべて失われ、岸壁は巨大なヒビが引き裂かれたように入り、復旧まで8か月を要しました。しかし本格復旧前に、食料や救援物資がここから次々と陸揚げされ、風呂を提供する船も発着。近隣の魚崎地区の方の話によると、港から運ばれた物資のおかげで早めに暖かい食事を口にできたといいます。

 しかし、港と青木駅との間にある阪神高速3号神戸線の高架が崩落し、徒歩や車・トラックの移動は困難でした。前述の「徳島阪神フェリー」も神戸発着便を大阪南港発着に振り替え、そのまま神戸には戻らず廃止に。再開した航路も、震災による移動需要そのものの落ち込みから、各社とも苦境に見舞われます。 四国への各社航路は、「明石海峡大橋」架橋による再編が既定路線だった頃もあり、1998(平成10)年の開通とともに、ほぼ撤退しました。残る九州方面への航路や「ジャンボフェリー」も六甲アイランド・三宮のフェリーターミナルに移転し、翌1999年に東神戸フェリーセンターは閉鎖となりました。

実はいまも「災害時の港」として残っている

 東神戸フェリーセンター跡地は、カー用品店を展開する「オートバックスセブン」に貸し出され、同社が運営を請け負うかたちで、2000(平成12)に「サンシャインワーフ神戸」が開業。しかし一帯はいまも「耐震強化岸壁」として地域の防災計画にも位置づけられ、災害時に救援用の船が発着できる機能を残しています。 よく見ると岸壁は防舷材(船と岸壁の衝突を和らげるクッション材)が数か所整備され、「世界一長い雲梯」も取り外しが可能な作りになっているようです。ただ、この岸壁のため本格的な防潮設備を作れず、2018(平成30)年には周囲一帯が高潮で浸水するなど、課題も残っています。

 2棟あったターミナルビルのうち1棟(東側)は廃止後すぐ更地となり、現在は「サンシャインワーフ神戸」のうち1棟(「ヤマダ電機」「びっくりドンキー」などが入居)に。もう一方のターミナルビルは、港を管理する関連会社の拠点として残されましたが、既に新社屋が建設され、移転ののちに解体工事を行う旨が早くから告知されていました。 なお、この建物の屋上にある「KFC」(運営を請け負っていた会社「神戸フェリーセンター」の略称)ロゴ看板もそろそろ見納です。ただ、神戸市はアルファベットの頭文字が「K」ということもあり、「神戸フレートセンター」「神戸定住外国人支援センター」など、KFCを略称とする施設が他にもいくつかあります。

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