戸田競艇が首都東京を守ってる? 川のような日本一のボート場「戸田漕艇場」が生まれたワケ

埼玉県戸田市にある、ボートレース戸田(戸田競艇場)は戸田ボートコースとも言われる戸田漕艇場に置かれています。同漕艇場は人工的に作った水路で、幅約90m、東西の長さ約2.5kmという日本一の規模を誇っています。

暴れ川「荒川」の水害防止策として整備される

 埼玉県戸田市のボートレース戸田(戸田競艇場)は、戸田ボートコースとも言われる戸田漕艇場に置かれています。現地へ行くとわかりますが、一見、川と間違えるような造りをしています。この川のような水路が戸田漕艇場であり、幅約90m、東西の長さ約2.5kmという日本一の規模を誇る人工静水コースとなっており、水路に架かる戸田公園大橋より西側がボートレース場です。

 この巨大な人工の水路が誕生したのは、明治時代から政府が行ってきた荒川の改修工事が関係しています。「荒ぶる川」に由来する荒川は、その名の通り、かつて頻繁に水害を起こす暴れ川でした。その水害を防ぐべく1911(明治44)年に、政府は荒川改修事務所を設立、以降、同河川での大規模な治水工事を長期間に渡り進めていきます。 戸田漕艇場の建設は、その治水事業の一環です。荒川周辺の低湿地であるこの近辺を洪水の被害から守る遊水地として、貯水池と排水路の工事が1930年代に開始されました。その後、1940(昭和15)年に行われる東京オリンピックで、同地がボート競技として選ばれ、競技会場用としても整備されましたが、この東京オリンピックは幻に終わりました。

戦後競艇場として運用されるも当時は幅が狭く……

 戸田漕艇場は競技会場でこそなくなったものの、治水対策としての役割は残っているということで、工事は規模を縮小しつつも続けられ、1940(昭和15)年10月31日に戸田オリンピック・コースとして竣工式が行われます。

 終戦から9年後の、1954(昭和29)年には10月14日に戸田漕艇場内に、戸田競艇場が開場します。当時はコース幅が70mとかなり狭かったため、対岸に乗り上げる選手などもいたそうです。 1959(昭和34)年には、再度の東京オリンピック開催が決定し、再び会場候補として脚光を浴びますが、当時の戸田町議会は、前回、国の方針に振り回されたことと、開催期間中は戸田競艇場の収入が断たれることから最初は難色を示したとのこと。結局、開催2年前に受け入れ、突貫工事でコース幅を70mから90mに拡張する工事などが行われ、1964(昭和39年)の開催に間に合わせます。 現在、下流部は戸田公園として整備され、カヌーとカヤックの練習場としてやボート競技の会場として使用されています。上流部の戸田競艇場に関しては現在、コース幅が107.5mまで伸ばされています。それでも、全国一狭い競走水面であることには変わりなく、フルパワーでのターンができないため、インコースの1着率が全国ワーストクラスで「まくりの水面」とも言われ、波乱が起きやすいことで知られています。

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