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昨日の巨人戦、先制され苦しい展開も福田の逆転アーチでひっくり返す。 そういえば昨年もドームで福田が値千金もアーチを放って逆転勝ちした試合があった。 結構印象深い一打を放つ福田、怪我なく常時出られると中日も強くなれるのだが。
今夜は大野雄大が投打に渉る活躍で巨人に快勝。 京田・大島の久々に一二番も活躍、ビシエドにも打点。 でもマスコミも球団も球場関係者も、ベンチの根尾に終始注目、 どことなくチームに緊張感が無い。これが万年下位たる所以か。 続く9連戦、気合入れてくれー
今夜はなかなか高めを取らない葦原球審に苦労した試合展開も、 7回の大島のホームインのリクエスト成功の裁定で流れが変わりました。 相手の捕手もコリジョンルールでブロックしずらい状況でタッチが浮いた分、 大島のスライディングが一足早くホームにタッチ。 しかしビデオで観ない限りかなりl微妙な状況。まさに現代のルールだからこそのセーフ。 歓声に呑まれなったのも大きい。何より苦手広島球場で勝ちを拾えた感。これを切掛に。
今日はデーゲームで阪神に1ー0辛勝で連敗ストップ。 勝野、福、祖父江と繋ぎ、最後はライデルとアリエルのマルティネス・バッテリーで無失点完了。 やっぱチームの強さは投手を軸とした守りから。整備して復活してちょー!
ここまで全球団負け越しの最下位、なんか黎明期の低迷と被るな〜 あの時も社会世情は不安定で親会社も不安、チーム強化も儘ならなかった。 *1936年は、シーズンの総合順位は決めなかったので、ドラゴンズはトータルで負け越してはいたがBクラスの区別はつけず 1936年冬/ドラゴンズ試合なし(巨人と金鯱で記念大会試合挙行、オープン戦として記録) 1936年春/ドラゴンズ参加、記念大会試合挙行(一部不参加球団あり、このシーズンから公式戦として記録) 1936年夏/ドラゴンズ含め全球団でリーグ戦実施(優勝決定戦は球場の確保が出来ず中止) 1936年秋/リーグ戦実施(優勝決定戦を上位成績の巨人と阪神で実施) ✳︎1937年のシーズンより、リーグ戦の総合順位を決める 1937年春[年2季制]/(8チーム中7位B) 1937年秋/リーグ戦実施(8チーム中8位B) 1938年春/リーグ戦実施(8チーム中7位B) 1938年秋/このシーズンより南海が参加(☆貯金1で9チーム中4位、初のAクラス) 1939年[年1季制]/(9チーム中6位B) 1940年/このシーズンを最後にセネタースと金鯱が合併(☆9チーム中5位A) 1941年/リーグ戦実施(8チーム中6位B) 1942年/リーグ戦実施(8チーム中7位B) 1943年/この年を最後に大和・西鉄(第一次)が解散(☆8チーム中2位A) 1944年/リーグ戦実施(6チーム中4位B) 1945年/戦局の悪化によりリーグ戦開催せず、選抜チームによる記念大会試合のみ挙行 1946年/リーグ戦再開(8チーム中7位タイB) 1947年/国民リーグ結成による軋轢が生じる(☆8チーム中2位A) 1948年/リーグ戦挙行(8チーム中8位B) 1949年/リーグ戦挙行(8チーム中5位B) このあと2リーグ分立を経て日本一、また低迷で、ミレミアムを挟んでCSを駆使した下剋上日本一。 んで今の長期低迷、時代は繰り返す。 という事は、また日本一になる日も? と思ってなきゃやっとれんわ〜
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昨日の巨人戦、先制され苦しい展開も福田の逆転アーチでひっくり返す。
そういえば昨年もドームで福田が値千金もアーチを放って逆転勝ちした試合があった。
結構印象深い一打を放つ福田、怪我なく常時出られると中日も強くなれるのだが。
やれば出来る。
完全に負けたと思ってコンビニへアイス買いに行って帰宅したら福田が逆転ホームラン。
気分が良い。
今夜は大野雄大が投打に渉る活躍で巨人に快勝。
京田・大島の久々に一二番も活躍、ビシエドにも打点。
でもマスコミも球団も球場関係者も、ベンチの根尾に終始注目、
どことなくチームに緊張感が無い。これが万年下位たる所以か。
続く9連戦、気合入れてくれー
DeNAに弱いな
実に弱い
Dena、巨人と続く連戦。これ以上は負けらんない。
勝たんと。
0ー0か〜
梅津完封も報われず。残念。
互いに序盤チャンスを潰し合って、後半は打って変わって淡白だった。
梅津が残念だったが、この調子なら今後先発の軸としていきたい。
今夜はなかなか高めを取らない葦原球審に苦労した試合展開も、
7回の大島のホームインのリクエスト成功の裁定で流れが変わりました。
相手の捕手もコリジョンルールでブロックしずらい状況でタッチが浮いた分、
大島のスライディングが一足早くホームにタッチ。
しかしビデオで観ない限りかなりl微妙な状況。まさに現代のルールだからこそのセーフ。
歓声に呑まれなったのも大きい。何より苦手広島球場で勝ちを拾えた感。これを切掛に。
今日はデーゲームで阪神に1ー0辛勝で連敗ストップ。
勝野、福、祖父江と繋ぎ、最後はライデルとアリエルのマルティネス・バッテリーで無失点完了。
やっぱチームの強さは投手を軸とした守りから。整備して復活してちょー!
ここまで全球団負け越しの最下位、なんか黎明期の低迷と被るな〜
あの時も社会世情は不安定で親会社も不安、チーム強化も儘ならなかった。
*1936年は、シーズンの総合順位は決めなかったので、ドラゴンズはトータルで負け越してはいたがBクラスの区別はつけず
1936年冬/ドラゴンズ試合なし(巨人と金鯱で記念大会試合挙行、オープン戦として記録)
1936年春/ドラゴンズ参加、記念大会試合挙行(一部不参加球団あり、このシーズンから公式戦として記録)
1936年夏/ドラゴンズ含め全球団でリーグ戦実施(優勝決定戦は球場の確保が出来ず中止)
1936年秋/リーグ戦実施(優勝決定戦を上位成績の巨人と阪神で実施)
✳︎1937年のシーズンより、リーグ戦の総合順位を決める
1937年春[年2季制]/(8チーム中7位B)
1937年秋/リーグ戦実施(8チーム中8位B)
1938年春/リーグ戦実施(8チーム中7位B)
1938年秋/このシーズンより南海が参加(☆貯金1で9チーム中4位、初のAクラス)
1939年[年1季制]/(9チーム中6位B)
1940年/このシーズンを最後にセネタースと金鯱が合併(☆9チーム中5位A)
1941年/リーグ戦実施(8チーム中6位B)
1942年/リーグ戦実施(8チーム中7位B)
1943年/この年を最後に大和・西鉄(第一次)が解散(☆8チーム中2位A)
1944年/リーグ戦実施(6チーム中4位B)
1945年/戦局の悪化によりリーグ戦開催せず、選抜チームによる記念大会試合のみ挙行
1946年/リーグ戦再開(8チーム中7位タイB)
1947年/国民リーグ結成による軋轢が生じる(☆8チーム中2位A)
1948年/リーグ戦挙行(8チーム中8位B)
1949年/リーグ戦挙行(8チーム中5位B)
このあと2リーグ分立を経て日本一、また低迷で、ミレミアムを挟んでCSを駆使した下剋上日本一。
んで今の長期低迷、時代は繰り返す。
という事は、また日本一になる日も? と思ってなきゃやっとれんわ〜
昨日は松葉の好投もあり巨人相手に完封リレー。
今は連敗を止めるのに手一杯だが、連勝する日を信じてコツコツと行こう。