
「ふるさとを駆け回りたい」「先祖の墓参りをしたい」―。北海道・根室半島沖にある択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島で生まれ育った人たちの切実な願いだ。ソ連(現ロシア)が四島を占領して80年。日本政府は「固有の領土」として返還を求め続けているものの、交渉は中断し、解決の兆しは見えない。(肩書は当時)
日ロ間の国境は江戸時代後期の1855年の日ロ通好条約で択捉島の北に引かれ、それ以降四島は日本の領土とされてきた。しかし、1945年8月18日、ソ連は千島列島への攻撃を始め、9月までに四島を占領。日本は返還を求め、領土問題の解決を含む平和条約締結に向け交渉を続けてきた。
日本にとって好機となったのは91年のソ連崩壊時。領土問題への姿勢が軟化し、エリツィン大統領が訪日した93年の東京宣言では北方四島の帰属問題が初めて公式に記された。2001年の日ロ首脳会談では東京宣言に基づいた解決を確認(イルクーツク声明)。13年には安倍晋三首相がプーチン大統領と領土交渉の再開で合意し、18年の会談で歯舞、色丹の「2島返還」による決着にかじを切ったとみられた。だが、その後も解決には近づいていない。
交渉を困難にしているのが、ロシアによるウクライナ侵攻だ。ロシアは日本の制裁に反発し、平和条約締結交渉を一方的に中断。岩屋毅外相は今月8日の記者会見で「交渉の見通しについて具体的に申し上げられる状況にはない」と述べた上で「事態の打開に向けて、粘り強くやりとりを続けていきたい」と説明した。
返還を待ち望む元島民は減り、高齢化が進む。終戦時、四島には約1万7000人が暮らしていたが、千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)によると元島民は今年6月末時点で4907人にまで減少。平均年齢は89.6歳となった。歯舞群島出身の角鹿泰司さん(88)は「元島民は自分たちの命がもういくばくもないと分かっている。80年もたっているのに、一歩も進んでいないのは苦しい」と胸の内を明かした。
実体験を後世に伝える「語り部」活動の継続も課題だ。択捉島出身で千島連盟理事長の松本侑三さん(84)は「世の中の関心は確実に薄れている。元島民の記憶を記録にしていかなければならない」と指摘。連盟は2世、3世の語り部を育成している。
国後島出身の両親を持つ鈴木日出男さん(73)は「島が忘れ去られないよう、啓発し続けることが重要だ」と強調。30年以上、両親の経験を伝え継いでいる。角鹿さんは「命ある限り返還運動を続ける」と決意を示し、「明けない夜はない。いつか必ず報われる」と希望を語った。
〔写真説明〕千島歯舞諸島居住者連盟の松本侑三理事長=7月6日、東京都中央区