元少年兵の98歳「慰霊が使命」=兄や特攻の仲間悼む―最高齢遺族、長屋さん

 全国戦没者追悼式に最高齢遺族として参列した長屋昭次さん(98)は、少年飛行兵として訓練中に終戦を迎えた。兄は中国で戦病死し、仲間は特攻隊員として出撃。「慰霊が私の使命」との一念で、北海道網走市から訪れた。
 8歳離れた兄の保さんは、1942年に召集された。出征前日の夕方、2人で銭湯に行き、保さんの背中を流した。「俺が帰ってきたら進学させてあげる」。優しかった兄から声を掛けられ、15歳だった長屋さんは「そうなったらうれしいね」と返した。
 保さんは軍需物資を輸送する「輜重兵(しちょうへい)」として従軍したが、45年7月に中国北部で入院。終戦後の同12月、肺結核のため26歳で亡くなった。帰ってきた骨箱は空だった。長屋さんは「体の弱い兄が無理をして、精いっぱい頑張ったんだと思う。悲しいけど納得するしかなかった」と振り返る。
 長屋さん自身も43年、志願して東京陸軍少年飛行兵学校に入学。45年3月には朝鮮半島に渡り、訓練を続けた。戦況が悪化する中、先輩らは特攻隊員として命を落とした。
 80年前の8月15日は朝鮮半島の飛行場で迎えた。玉音放送を聞いたが内容は理解できず、上官から敗戦を知らされ仲間と涙した。「家に帰れるのはうれしかった。ただ、志願したのに戦争が終わり、複雑だった」と明かす。
 「私と同年代の17歳で、特攻で亡くなった人がいる。兄や同僚のことを考えると、慰霊が生き残った私の使命だ」。長屋さんは、東京で開かれる追悼式に15回ほど参列を重ねてきた。
 98歳となり「歩くのもやっと」だが、今年も網走から足を運び、「80年、一つの節目で感慨深い」とつえを手にゆっくりと会場に入った。「人命が失われる戦争は愚かだ。戦争は絶対にやってはいけない」。 
〔写真説明〕全国戦没者追悼式を前に、取材に応じる最高齢遺族の長屋昭次さん=15日午前、東京都千代田区

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