
全国戦没者追悼式で遺族代表として参列した江田肇さん(82)=埼玉県川越市=の父は終戦直後、復員中に引き揚げ船が機雷と接触して亡くなった。戦後80年の節目の式典で、江田さんは「これからも戦争のない国をつくっていきたい」との決意を込め追悼の辞を読み上げた。
父富治さんは1945年4月、2度目の出征をし、朝鮮半島で飛行場の建設に従事。生きて終戦を迎えたが、6日後の8月21日、乗っていた引き揚げ船が機雷に接触し沈没した。30歳。遺骨は戻らず、同月生まれた娘の顔は見られなかった。
江田さんは追悼の辞で、「家族と共に将来の希望を抱いていた父の無念さは計り知れない」としのんだ。
戦後は農家の跡取りだった父の生家で暮らした。母は祖父母と稲作や養蚕をし、「父がいない分も大事に育ててくれた」と感謝する。江田さんも家業を支えるため、大学進学を諦めて農家を継いだ。父の記憶はないが、今も変わらず暮らす家には在りし日の写真が飾られている。命日に孫に当たる長女が誕生し、家族で「生まれ変わりかも」と喜んだ。
高校2年から、母が入っていた川越市遺族会の活動を手伝った。戦没者の親や妻が中心となり、慰霊とともに、国に処遇改善を要求してきたが、時間の経過に伴い遺族は高齢化し会員は減少。母も2004年に他界した。「国のために亡くなった方の慰霊は、残された私たちの務めだ」。現在は日本遺族会常務理事として継承に注力している。
戦後80年を迎える中、ロシアのウクライナ侵攻など戦禍は絶えない。追悼の辞は、「日本は平和のために発信していくべきだ。戦争はやってはいけないと、節目にもう一度考えてほしい」との思いで記した。「戦争は犠牲者を生み、家族が亡くなるのは大変なこと。これからも戦争のない良い国をつくっていきたい」と前を向いた。
〔写真説明〕全国戦没者追悼式で追悼の辞を述べる遺族代表の江田肇さん=15日午後、東京都千代田区
〔写真説明〕全国戦没者追悼式に向かう遺族代表の江田肇さん(中央)ら=15日午前、東京都千代田区
〔写真説明〕父の遺影を手に取材に応じる遺族代表の江田肇さん=8日、埼玉県川越市
〔写真説明〕取材に応じる遺族代表の江田肇さん=8日、埼玉県川越市