
原爆投下から80年を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園には未明から被爆者や遺族らが次々と訪れ、原爆死没者慰霊碑前で静かに手を合わせた。「核兵器のない地球に」。世界情勢が緊迫する中、被爆者らは核兵器廃絶を強く願った。
広島市西区の男性(94)は14歳の時、原爆で家族6人を失い、郊外の学徒動員先にいた自分だけが助かった。「一人で生きていくのが苦しかった。早く親たちのところへ行きたかった」とつらそうに語った。動員先から家に戻る時には、川におびただしい数の人が倒れているのを見たといい、「若い人が同じ経験をしないよう、核兵器のない地球にしてほしい」と訴えた。
「人々が丸焦げで地獄のような光景が広がっていた」。原爆投下から数日後に広島市内に入り、被爆した横山ヨシエさん(96)=同市安佐北区=はあの日の惨状が脳裏に焼き付いている。共に祈りをささげた孫の大城さん(42)は「あと何年一緒に来られるか分からない。もっと話を聞いていかなければいけない」と話した。
昨年、89歳で亡くなった父を悼み、慰霊碑に祈りをささげた病院事務の大杉健仁さん(66)=同市安佐北区=は「もっと話を聞いておけばよかった」と悔やみ、「戦争をやったらいけない。核兵器は使ったらいけない」と強調した。
「地元の小学校に負傷者がたくさん運ばれてきた」。祖母が生前、そう話しているのを聞いたという飲食業の奥田翔さん(39)=同市東区=は、次世代に原爆投下の歴史を引き継ぐつもりで、約10年間毎年慰霊碑を訪れている。感じたことを自分の子どもにも伝えることで「原爆は使ってはいけない、と気づいてくれれば」と話した。
被爆について知ろうと広島を訪れたというオーストラリア出身のスチュワート・フィオナさん(34)は、「人がこんなにも残酷になれることに怒りを感じる」と話し、「恐れるのではなく、人々を理解し、核兵器のない世界にしたい」と話した。
〔写真説明〕80回目の原爆の日を迎え、原爆死没者慰霊碑前で手を合わせる人たち=6日午前、広島市中区の平和記念公園
〔写真説明〕80回目の原爆の日を迎え、原爆死没者慰霊碑を訪れ、手を合わせる人たち=6日午前、広島市中区の平和記念公園
〔写真説明〕80回目の原爆の日を迎え、原爆死没者慰霊碑を訪れ、手を合わせる人=6日午前、広島市中区の平和記念公園