東京が産んだ名経営者:石坂泰三

石坂泰三氏は明治19年、東京都生れ。
撮影当時87歳、経団連名誉会長、日本工業倶楽部理事長、東京芝浦電気・アラビア石油各相談役、万博記念協会会長、そして、ボーイスカウト日本連盟総裁であった。

明治44年、東大を卒業して逓信省に入る。
当時は最高の秀才は大学に残り、次が役人、最後が実業に行くのが常識であり、役所でも大蔵、内務が上位と見られていた。
それをあえて逓信省を選んだについては「鶏頭になるほうが牛後よりもいい」と考えたようだ。

やがて第一生命にスカウト。矢野恒太氏と組んで第一生命を日本生命に次ぐナンバー2に育て上げた。
昭和23年に東芝社長。元々会長でくるはずだった約束の石坂氏は、東芝入りに当たって“ 腹心”は一人も連れてこなかった。
そのへん、後の土光敏夫氏も同じだ。単身乗り込むほうが出所進退が自由になるというのがその理由。
そして東芝大争議に直面、これを乗り切る。

昭和31年、経団連会長に就任。財界総理ともいうべき経団連会長を引き受けたについては「三分の侠気のしからしむところ」と漂々。
「むかしから酒は飲まないほうだったが、ちかごろ、晩には葡萄酒を少しやるようになった。葡萄酒は熟成の度合で大層ちがうものだ。わたしは東芝と関係があるから、その例をひくと、発電機の巨大な心棒は鉄を形にしてから数年雨ざらしにしておくと、使える心棒になる。エイジング――熟成、これは人間にも必要なのだと思う。若い葡萄酒は舌にチリッとくるだろう……。だが、若さをないがしろにしているのではない。わたしは永らくボーイスカウトの手伝いをしている。若い人々にくらべればいささかエイジングしたわたしが、若い人たちの役にたてる場だと思っているからだ。生活の中で大きな部分を占めている」と語る。

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