
高知県南国市で8月中旬、太平洋戦争末期に特攻隊を指揮した旧海軍の岡村基春大佐=同県出身=の遺品展が開催された。遺品展では数々の部隊で司令を務めた岡村氏の軍歴や温厚な人となりを紹介。担当者は「温かみのある人が特攻を主導した。その異常な状況を想像してほしい」と話す。
岡村氏は1900年、現在の同県安芸市で誕生。海軍兵学校を卒業し、太平洋戦争では数々の部隊で司令を歴任。戦局打開のため、特攻専門の部隊や兵器の構想を練った。44年10月には現在の茨城県小美玉市などに置かれた第721海軍航空隊の初代司令に就任した。
同隊は岡村氏が「神雷部隊」と命名し、特攻用の1人乗り航空機「桜花」などが配備された。桜花は全長6メートル余りで、先端に1200キロ爆弾を搭載。中型飛行機で戦場まで運ばれ、切り離されると最大時速648キロで敵艦に体当たりした。同隊では桜花により400人余りが戦死したとされる。
岡村氏は戦後、多くの部下を死なせたことに自責の念を持ち、各地で慰霊を行っていた。48年、連合国軍総司令部(GHQ)に呼び出されたが、上京する際に線路に身を投げ、48歳で亡くなった。遺書はなく、動機は今も不明だ。
8月16~17日にあった遺品展では、岡村氏の写真や勲章、色紙が展示された。写真は高知航空史記念館準備会の福井正洋代表(44)が遺族から託された76枚のうち、35枚を並べた。家族や子ども、同僚らと屈託のない笑顔を見せる写真が多く、子煩悩だったことがうかがえる。
福井さんは「厳格だと思ったが、とても人なつっこい性格で衝撃を受けた」と語る。「そんな岡村氏がどうして特攻という異常な手段に駆り立てられたのか。生の写真に触れ疑問を感じてほしい」と話しており、今後も企画展を行う予定だ。
〔写真説明〕旧海軍神雷部隊を率いた岡村基春大佐の遺品展=8月16日、高知県南国市