
戦後80年を迎え、民間の戦争資料館が存亡の岐路に立っている。背景には担い手の高齢化や資金難があり、閉館に踏み切った例もある。専門家は、貴重な戦争資料の散逸に警鐘を鳴らす。
1979年に開館した「兵士・庶民の戦争資料館」(福岡県小竹町)の武富慈海さん(76)は、2002年に84歳で亡くなった父登巳男さんの遺志を継ぎ館長を務める。旧陸軍兵士としてシンガポールで終戦を迎えた登巳男さんは「悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない」との思いから自宅を改装して陸軍の軍服や銃の展示を始めた。
「実在した誰かが持っていたものを触って感じてほしい」との思いが設立の理念だ。軍による加害の歴史も伝えており、武富さんは「公的な資料館では被害に関する展示が多い。資料に触れてもらい、加害の観点からも平和を訴えられるのは民間資料館だからこそ」と胸を張る。
ただ、武富さんに後継者はおらず、光熱費や建物の老朽化による維持費の負担も重い。武富さんは資料のデジタル化などに取り組んでおり、「若い人たちの力を借りることが必要不可欠だ」と話す。
閉館後、場所を変えて存続した例もある。大分市にあった「大分予科練資料館」は、運営や管理を担っていた川野孝康さん(69)の父で、元特攻隊員だった喜一さん(21年に95歳で死去)が約40年前に自宅を改装して造った資料館だ。
喜一さんは出撃前に終戦を迎え、「死に損なった」との思いから戦友を慰霊する場として立ち上げた。旧海軍の戦闘機「ゼロ戦」のエンジンや特攻隊員の遺書などを展示し、見学者が来れば一人ひとり丁寧に案内した。
川野さんは、喜一さんの死去に伴い運営を受け継いだ。ただ、高齢で後継者も不在なため、「元気なうちに区切りを付けたい」と閉館を決意。戦争資料を展示してきた大分県護国神社(同市)に相談し、全資料を昨年引き取ってもらった。
川野さんは「戦友の慰霊が神社に引き継がれてありがたい。資料だけでなく、思いもつなぐことができた」と安堵(あんど)した様子で話した。
立命館大の安斎育郎名誉教授(平和学)は「民間の資料館は、担い手の高齢化や財政難によって運営が苦しくなっている」と指摘。貴重な戦争資料の散逸を避けるために「社会全体で保護していくべきだ」とした上で、「若者を単に見学に来てもらう対象とするのではなく、資料保護を担う仲間として巻き込むことが求められる」と話している。
〔写真説明〕来館者に資料を説明する「兵士・庶民の戦争資料館」の武富慈海館長=7月25日、福岡県小竹町
〔写真説明〕2024年に閉館した「大分予科練資料館」の跡地に立つ川野孝康さん=7月24日、大分市