被爆電車、今も現役=市民の足、平和学習に活用も―「一日でも長く走らせたい」・広島電鉄

 広島に原爆が投下されてから、6日で80年を迎える。あの日、原爆の被害を受けながらも、修理され、今も市民の足となっている路面電車の車両がある。焼け野原の中で運転を再開し「復興のシンボル」となった「被爆電車」は、小学生などの平和学習の場としても活用されている。
 広島電鉄(広電)によると、原爆により従業員185人が死亡。戦時中の人手不足を補うため開設された広島電鉄家政女学校の生徒・職員30人も含まれるとみられる。車両も123両のうち108両が全壊するなど損傷したが、懸命の復旧により、被爆からわずか3日後には一部区間で「一番電車」が再び走り始めた。
 「会社の人からキップも釣銭もない鞄を手渡され、『お金のない人からは電車賃を貰わんでも、ええで』と言うことでした」。広電開業100年史には、一番電車に車掌として乗務した家政女学校の生徒の証言が残されている。「『おお電車が動くんか』と驚かれる人、『鉄橋が怖いけんのー』と怖がる人、火傷の人、斑点が見える人、と色々でした」と証言は続いている。
 広電に現存している「被爆電車」は4両。主に朝のラッシュ時に客を乗せて走る「現役」は2両で、貸し切り運行にも対応している。うち1両は、爆心地から約700メートルの「中電前」電停付近で被爆した車両という。他に、当時の塗装を復刻したイベント用の1両と休車中の1両がある。
 7月27日、教職員らでつくる広島平和教育研究所などが被爆電車を使って行った平和学習では、2両にそれぞれ被爆者が乗車し、原爆ドーム付近などを巡りながら、参加した小学生と保護者の計約90人に悲惨な体験を証言した。
 「左半身が焼かれ、80年たったがやけどの痕が残っている。死にたくない、死にたくないと思い逃げた」。14歳の時、爆心地から約1キロで被爆した増岡清七さん(94)=広島市中区=は、被爆体験を語った。増岡さんが「命を大切にしなくてはいけない。そのために戦争をなくし、平和でなければならない」と訴えると、小学生らは真剣な表情で耳を傾けていた。
 被爆電車は、台車やモーターなど多くの部分が当時のまま残る「証人」でもある。広電の広報・ブランド戦略室の担当者は「被爆を物語る貴重な車両。大事に使い、被爆の実相を伝えるために、一日でも長く走らせたい」と話している。 
〔写真説明〕原爆ドーム付近を走る被爆電車=7月27日、広島市
〔写真説明〕被爆電車の中で証言する被爆者の増岡清七さん=7月27日、広島市
〔写真説明〕被爆電車の中で当時の体験を語る被爆者の増岡清七さん(左端)=7月27日、広島市

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