「史上最後に完成した戦艦」なぜ? 「“意地”で“維持”しよう」と頑張っちゃったら不遇の結果に

現在は消滅してしまった「戦艦」という艦種。このカテゴリで最後に完成した船は、フランス海軍のリシュリュー級戦艦の2番艦「ジャン・バール」です。同艦は、建造中の扱いや就役後のタイミングの悪さなどで「不遇艦」と呼ばれることもあります。

タイミングが悪すぎて完成が大きく遅れた戦艦

 2025年現在は消滅してしまった「戦艦」という艦種。このカテゴリで最後に完成した船は、フランス海軍のリシュリュー級戦艦の2番艦「ジャン・バール」です。同艦は、建造中の扱いや就役後のタイミングの悪さなどで「不遇艦」と呼ばれることもあります。

 同艦は1936年12月12日に建造が開始され、1940年3月6日に進水。そして“戦艦としての形を維持した状態”での実質的な就役に関しては、なんと1955年と第二次世界大戦終了後になります。どうしてここまで時間を要したのか。これは、もちろん当時のフランスの置かれた状況が影響しています。

 進水が1940年3月ということで、既に第二次世界大戦は始まっていました。さらに、フランスは1940年5月10日にドイツからの侵攻を受けます。そのため、同艦は書類上、同年6月16日に慌てて就役したことになりますが、その実態は主砲や動力となるボイラーが完全な状態ではない、明らかな未完成艦でした。

 しかし既にフランスは劣勢となっており、同艦はドイツ軍による鹵獲(ろかく)を避けるため、ロワールのサン・ナゼール造船所から移送する必要がありました。

 当初はフランス本国の別の場所に移送する予定でしたが、ほどなくしてフランスは降伏。ドイツの傀儡政権であるヴィシー政府が誕生し、艦を自沈させるかモロッコのカサブランカへ移動するか迫られ、ヴィシー政府の統治するカサブランカへ移動することになります。

 ひとまずここで艦を完成させることが試みられますが、建造を進めるどころか、資材不足により、同艦に既に搭載していた対空砲と対空機関砲が陸揚げされ、港の防衛力の強化に用いられることに。この措置により同艦は、測距儀が装備されていない、使いものにならない砲塔1基を装備しただけの艦に成り果てました。

 そして完成もままならないまま、カサブランカに浮いていた「ジャン・バール」は1942年11月8日に空襲を受けます。相手はドイツ軍ではなく、アメリカ海軍の艦載機でした。フランスの敗戦後、ドイツの傀儡ではあるものの一応は中立の立場を取っていた北アフリカのフランス・ヴィシー政府でしたが、連合軍のモロッコとアルジェリアへの上陸作戦である「トーチ作戦」で攻撃にさらされることとなったのです。

爆撃により大きく損傷し戦時中は放置される

 このトーチ作戦中のカサブランカ沖海戦で「ジャン・バール」は、アメリカ海軍の重巡洋艦「オーガスタ」に主砲での砲撃を試み退却させたものの、主力艦を下げたアメリカ海軍の艦載機による急降下爆撃で複数の爆弾が直撃し、撃沈こそ免れますが浸水により着底します。

 その後、同艦は自由フランス軍所属として、再び連合軍側になりますが、太平洋方面に展開していた姉妹艦の「リシュリュー」に同艦が搭載するはずだった主砲を渡すなどしたため、大戦中はそのまま放置されることになりました。

 再び完全な戦艦としての就役の道が開けたのは1945年8月25日で、浮揚されシェルブールへ回航のうえ、同艦の建造が再開されることになりました。

 この際、実は空母に改造するプランもありました。ただ艦載機が50機程度しか搭載できないとして建造費に見合わないという批判があり、当時のフランス議会は戦艦として建造することになりました。

 戦時中にドイツに一度敗れ政治的混乱があったとはいえ、未だにフランスは、アフリカや太平洋にある広大な植民地と利権を有しており、それらを維持するには強力な軍艦が不可欠でした。ただ、空母化よりもあえて高い建造費を支払って、“時代遅れ”ともいえる戦艦を建造することに関しては、当時から金の無駄であるという論調もあったようです。しかし、古い海軍思想に基づいて半ば意地を見せるかのように同艦は建造されることとなります。

完成にはかなりの時間を要したが退役は…

「ジャン・バール」の工事は1946年3月に再開しましたが、造船所自体が再建中だったことと、戦後の資金不足のため遅々として進みませんでした。ただ、その最中でも同艦の建造は、「全て国産パーツ」にこだわる方針がとられました。主砲に関しても、他戦時中にドイツ軍に接収されノルウェーに設置されていた状態の、姉妹艦で3番艦になる予定だった「クレマンソー」用に作られた主砲を使用しました。

「ジャン・バール」は1949年にようやく竣工と公試が終了し、1950年には地中海艦隊に所属し訓練を開始しましたが、この頃もまだ、主砲は万全ではなく、対空砲の一部も未整備で未完成という扱いでした。

 同艦が完成し、正式に就役となったのは1955年1月でした。なお、1940年の就役は、形式的かつ戦時急造的なもので、正式な就役とは見なされていなかったため、同艦は2025年現在、史上最後に完成した戦艦といわれています。

 そして、1956年に勃発した第二次中東戦争においては、スエズ運河の国有化を図ったエジプトに対する作戦行動を行いました。「ジャン・バール」はフランス外人部隊の上陸支援のため、主砲の380mm砲での艦砲射撃も行いましたが、主要な役割は「ラファイエット」と「アローマンシュ」というフランス海軍が保有する2隻の空母が担っており、やはり戦艦の時代遅れ感は否めませんでした。

 なお、このスエズ運河での軍事行動はアメリカとソビエト連邦という、戦後の2大国の介入により、フランスはイギリスと共に断念させられることとなり、これが、同艦が完成後に行った最初で最後の軍事行動でした。

 その後、フランス海軍は再建と近代化の側面から、ほかの艦艇建造と武装の近代化が優先されることとなり、「ジャン・バール」は本格稼働からわずか数年後の1957年より、予備艦として砲術練習艦任務に就くことに。新しい装備やレーダー、対空砲の試験艦として使用されました。その後は、1961年除籍となり、1969年にスクラップとして売却され、1970年に解体されました。戦後のフランスが意地を見せ完成させた戦艦でしたが、長く維持することはできませんでした。

※一部修正しました(4月30日17時00分)。

externallink関連リンク

【画像】え、これ直したの!? これが、爆撃を受けた後の戦艦「ジャン・バール」です「大和」と一緒に戦った“九死に一生”極めし軍艦、その稀有な経歴って? 今も”実は守ってます!”史上空前の大量発注「軍艦12隻ちょうだい、おまかせで!」同盟国の要請に日本どう応えた?
externallinkコメント一覧

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)