上野駅の「頭ぶつけそうなほど天井が低い通路」なぜ存在? 実は“ターミナル駅ならでは”の工夫!? もとの姿をひもとく!

JR上野駅には、頭をぶつけそうになるほど天井の低い通路があります。高さに余裕がなく、トラテープを貼って注意を促している状況ですが、なぜこのような低い天井が生まれたのでしょうか。話は、駅舎ができた約90年前に遡ります。

謎のカギは改札と通路の「段差」

 JR上野駅には、現代の大人の身長からすると、頭をぶつけそうなほど天井が低い通路が存在します。なぜ、この巨大なターミナル駅に天井の低い通路が生まれたのでしょうか。

 天井の低い通路は、2階の各線ホームから階段を下りて中央改札に向かう中央乗換通路です。第1ホーム(1・2番線)から中央改札に向かうと、特に天井が低い箇所が3つあります。それぞれ2・3番線、4・5番線、6・7番線の線路が頭上にある部分が低く、ホームがある部分は高くなっていることが分かります。

 2・3番線の線路下にある不忍改札に続く「しのばず口通路」は、全ての区間の天井が低い状況です。高架を支える梁(はり)の部分は高さが2mもなく、頭上注意のトラテープが貼られています。そのため、かがまなければ通行できないという人もいるでしょう。

 現在の上野駅舎が建てられたのは1932(昭和7)年のことでした。当時、日本の成人男性の平均身長は165cm程度だったとはいえ、さすがに低すぎます。空間を取りやすい高架下に設置した通路の天井は、もっと高くできなかったのでしょうか。

 その謎を解くカギが、中央改札と乗換通路の段差にあります。

 不忍改札は改札外の手前、中央改札は入ってすぐ左側に階段があり、一段上がると天井の低い通路です。中央改札の上は第4ホーム(7・8番線)と第5ホーム(9・10番線)があるので、高架下には十分な空間があるのです。

 では、天井の低い通路の下には何があるのでしょうか。駅舎竣工時に鉄道省(当時)が発行した『上野駅史』を見ると、高架ホーム下、中央口改札と同じ高さには「新聞雑誌扱所」「大口荷物扱所」「市内配達仕訳所」「発送小荷物扱所」そして「小荷物通路」など、荷物輸送のための業務用スペースがあったことが分かります。

 荷物輸送とは、乗客の手荷物や、現在の宅配便に相当する小荷物を旅客列車と一緒に運ぶサービスです。トラック輸送の普及前は、このような物流も鉄道が担っていたため、限られた高架下の空間を、上段は旅客輸送、下段は荷物輸送に分割した結果が、あの低い天井の通路なのです。

 荷物輸送はトラック輸送に役割を奪われ、国鉄末期に一部を除き全廃されました。上野駅の荷物輸送用スペースは現在、商業施設の「アトレ上野」として使われています。かつては旅客と荷物、今は旅客と関連事業の2段重ねというわけです。

上野駅の「上下2段」設備は現役!

 それ以外にも上野駅舎は「上下2段」を徹底して意識した駅でした。

 昭和初期は鉄道利用者が急増し、旅客の流動を制御する必要性が高まった時代で、バスやタクシーなど自動車交通との連携も重要になってきました。そこで上野駅の正面玄関口は、1階(現在の改札階)を乗車口、地下1階を降車口として、スロープと車寄せを設置し、自動車や歩行者の導線を分けました。

 乗客と降客はそれぞれ改札に向かって左側を通過し、降客は改札の先にある階段から地下に降り、そこで手荷物を受け取って外に出ました。また、地下1階には、現在の浅草口付近から不忍口前まで公衆地下道を整備し、駅舎竣工の5年前に開業した地下鉄(銀座線)との乗り換え階段を設置しました。

 降車口がいつまで使われていたのか、明確な記録は確認できませんでしたが、1974(昭和49)年頃の写真では使用が確認できるため、1978(昭和53)年の東北新幹線上野駅着工に前後して廃止されたと思われます。

 かつての名残は今も残っています。改札前の降客用階段は規模を縮小し、銀座線への乗り換え階段として現役です。この階段は途中に踊り場がありますが、その構造は竣工時の階段のままです。階段を下りた先のアトレ上野の店舗は、地下1階のスペースを転用したものです。

 また、公衆地下道は銀座線上野駅コンコースとして利用されており、不忍口側のスロープは7番出入口として現存しています。

 上野駅舎正面玄関口の2段構造は、外から見るとすぐに分かります。1階の乗車口は自動車用スロープが撤去され、歩行者専用の入口となりましたが、地下1階の降車口は駅商業施設用の搬入口に転用されています。地下1階には駅構内各所やホームに直結する荷物用通路があったため、搬入した荷物を乗客と交錯することなく店舗に運べるのです。

 上野駅は高架ホームの増設や大連絡橋、パンダ橋の整備など、大規模な改良工事を何度も行いながら増え続ける利用者に対応してきました。バブル期には超高層ビルへの建て替えも検討された上野駅ですが、竣工から90年以上が経過した今も駅舎を使い続けられるのは、人流・物流の「立体交差時代」を見据えた先人たちのおかげと言えるでしょう。次に低い天井を見た際は、そんな上野駅の歴史を思い返してみてください。

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