
南海電鉄と泉北高速鉄道が合併し、「南海泉北線」が誕生。一連の融合策の総仕上げとなります。南海は「日本一運賃が高いと言わんとってな」と自虐ネタで値下げをアピールし、ライバルの地下鉄に対抗します。
沿線住民には“朗報”の合併
大阪府南部を走る泉北高速鉄道が、今年2025年4月1日付で親会社の南海電気鉄道に合併され、泉北高速線は「南海泉北線」に生まれ変わります。今回の合併は、沿線住民には“朗報”です。
泉北高速線改め南海泉北線は、堺市の中百舌鳥(なかもず)駅と和泉市の和泉中央のあいだ14.3kmを結びます。泉北ニュータウンの中心である泉ケ丘駅から、南海高野線を経て大阪ミナミの中心地である難波駅まで直通の準急で28分、特急で24分と利便性の高い路線です。
ただ、1971年の開業から半世紀以上、泉北高速と南海が別会社であったため、利用者は初乗り運賃を2回払わざるを得ず、「日本一運賃が高い」との噂も広がりました。それが、今回の合併で両社の運賃が通算化されるのです。新しい運賃体系はどうなるのでしょうか。
定期の値下げ率がスゴイ!?
利用の多い泉ケ丘駅で考えると、泉ケ丘~難波間21.2kmは490円となり、3月現在と変わりません。泉ケ丘~堺東間こそ90円値下げとなるものの、他の大阪市や堺市の南海駅への運賃は10~30円値下げに留まります。すでに乗継運賃100円割引が2015年から適用されているのと、南海の運賃水準が他の大手私鉄より高めなのが原因です。
しかし、値下げ幅が大きいのは定期券です。
泉ケ丘~難波間の1か月通学定期(大学)は9670円→ 6060円と3610円の値下げ。1か月通勤定期は2万3980円→ 1万8770円と5210円も安くなります。通学定期は平均38.8%、通勤定期は同25.5%の値下げとなります。
ちなみに、泉ケ丘~難波間を中百舌鳥駅で地下鉄御堂筋線に乗り換えるルートだと、1か月通学定期(大学)は現在9140円。今は南海高野線ルートより安いですが、この“逆転現象”も解消されます。泉北ニュータウンから大阪都心へ向かうのに地下鉄利用から南海利用に切り替える利用者も増えそうです。
もともと南海も大阪市も難色示した「泉北ニュータウン新線」
泉北高速線の電車の多くは南海高野線に直通しますが、なぜ別会社で建設されたのでしょうか。その発端は1960年代、大阪府が泉北ニュータウン構想を打ち出す中、1965年1月に南海へニュータウン新線の建設を要請したことにさかのぼります。このとき南海は難色を示しました。
当時は南海本線の複々線化、難波駅の大改造、高野線複線化などに巨額の投資をしており、さらに新線建設に莫大な費用を投じる体力がありませんでした。ニュータウンの計画人口は18万人とされましたが、人口が定着するのに何十年かかるか。それまでは巨額の投資をしても利益は出ません。
もう1つ、大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)御堂筋線の堺市東部への延伸構想もありましたが、大阪市も色よい返事をしません。市営地下鉄ゆえに、市外への延伸に消極的でした。南海もライバルとなる地下鉄の延伸に反対していました。
そこで大阪府は1969年、大阪府都市開発株式会社の手で新線を敷設することを決めました。同社は東大阪市と茨木市でトラックターミナルを運営しており、大阪府が49%を出資する第三セクター会社でした。
こうして1971年に泉北高速線中百舌鳥~泉ケ丘間が開業し、1977年に光明池まで延伸します。大阪府都市開発こと泉北高速鉄道は施設と車両を保有しますが、当初、社員はわずかな事務員だけ。運転士や駅員、電気、土木のスタッフは業務委託を受けた南海の社員でした。
泉ケ丘駅、栂・美木多(とがみきた)駅、光明池駅の3駅がニュータウンの核となり、地区センターを中心としたまちづくりが行われました。
さて、泉北高速線の利用はどうだったのでしょうか。
「大阪府統計年鑑」によると、南海中百舌鳥駅の他会社線(泉北高速線)からの乗車人員は1972年で1.6万人/日でしたが、1975年に3.4万人、1980年には4.5万人にまで増えました。
泉北高速線の利用者の8割は南海線も利用しますが、初乗り運賃を2回払わねばならないぶん、他社線より割高となります。これが住民にとって長年の不満の種でした。
ちなみに、ニュータウン新線の建設・経営が事業者に重荷で延伸が困難なため、後に国と自治体から工事費の32.4%の補助が出るようになりました。これは泉北高速の苦境が新制度設立のきっかけとなったのです。
地下鉄きちゃった! 南海は「露骨な施策」で対抗
泉北高速をめぐる状況が変わったのは1987年です。同年4月、地下鉄御堂筋線の我孫子~中百舌鳥間が開業しました。堺市の悲願がようやく叶いました。
これに困惑したのが南海です。泉北高速線から中百舌鳥駅で地下鉄に乗り換えて大阪都心へ向かう人たちが増えて、高野線の大幅な利用減が予測できたからです。
そこで奇策を打ちました。地下鉄延伸の直前にダイヤ改正を実施し、朝夕のラッシュ時に光明池~難波間を速達する区間急行の運行を始めました。
この区間急行は泉北高速線内で深井駅までの各駅に停車して高野線に乗り入れますが、地下鉄との接続駅である中百舌鳥駅を通過します。御堂筋線への乗換を不便にする露骨な策で、新聞に批判されたりもしましたが、それだけライバルの登場に危機感があったのでしょう。
実際、南海中百舌鳥駅の他会社線からの乗車人員は1986年5.7万人/日から1988年4.6万人と2割減となります。この減少分が南海高野線から地下鉄に流出したと思われます。
泉北高速線の利用のピークは1996年です。前年1995年に光明池~和泉中央間が開業し、和泉市の丘陵部に整備されたニュータウン「トリヴェール和泉」への玄関口となりました。これに際し運転士や駅員も泉北高速の社員に切り替えられました。
ただ、泉北高速線の乗車人員は1995年16.6万人から、2005年14.1万人、2015年13.6万人と20年間で約2割減少します。2013年には朝の10両運転を中止しました。
泉北ニュータウンには、第一次ベビーブーム世代、その子供の第二次ベビーブーム世代が多く居住していましたが、人口は1992年の16.5万人をピークとして、2020年には11.7万人まで減少しました。住民の高齢化、若者の域外流出が進み、通勤客数も減りました。
「南海泉北線」はニュータウンを再生できるのか
この間、政治的な論点となったのが、大阪府都市開発の株式売却問題です。2008年の大阪府知事選で当選した橋下 徹知事は、大阪府都市開発について府の持ち株49%分を売却する方針を打ち出します。
その後、大阪維新の会設立、「大阪都構想」、泉北高速線の地下鉄直通構想、アメリカの投資ファンドに優先交渉権、地元の反対……と紆余曲折があり、2014年、府議会は南海電気鉄道に大阪府都市開発の株式を約750億円で売却する議案を可決しました。関西電力や大阪ガスなど民間保有分を除くと府の売却益は約367億円で、府はこれを積み立てて北大阪急行の箕面市延伸などの原資としました。
この年の7月、南海は大阪府都市開発を100%子会社として、社名を泉北高速鉄道株式会社に変更しました。
翌2015年3月より、泉北高速線と南海線との乗継割引額は、従来の20円から100円に変更されます。実質的に80円の値下げとなり、泉ケ丘~難波間の運賃は540円から460円となりました。12月から有料特急「泉北ライナー」の運行も始まりました。
こうした施策が功を奏したのか、泉北高速線の乗車人員は2015年13.6万人、2019年13.4万人。何とか下げ止まった感もあります。そして一連の仕上げとなるのが、今年の南海と泉北高速の合併です。
筆者が合併前の3月23日に現地を訪れると、「南海泉北線スタート」「日本一運賃が高いと言わんとってな」と書かれた垂れ幕が掲げられ、電車のラッピング、ヘッドマークも施されていました。車内の路線図は早くも「南海泉北線」となっていましたが、一部の駅名標や案内板に「泉北高速鉄道」の表記が残っていました。
泉北ニュータウンの将来人口は2030年9万人とさらなる減少も予測されていますが、堺市は持続可能なまちづくりと人口増加に取り組み、南海も泉ケ丘駅前活性化計画など新たなプランを打ち出しています。4月から「南海泉北線」となることで、ニュータウンの新たな魅力の創造につながることを期待したいものです。