
2025年3月のダイヤ改正では、JR貨物で使用されていた「銀釜」ことEF81形303号機が定期運行を終了しました。この機関車はなぜ愛称が付けられ、またどのような車両だったのでしょうか。
そもそもEF81形はなぜ必要だった?
「銀釜」ことJR貨物のEF81形電気機関車303号機が、2025年3月のダイヤ改正をもって定期運行を終了しました。この機関車は、数多くつくられたEF81形のなかでも稀有な存在でした。
そもそもEF81形は、JRグループの前身である国鉄の発注でつくられた交直流電気機関車で、1968(昭和43)年に登場しました。電気機関車は文字通り電気を動力源としていますが、EF81形は直流1500Vをはじめ、交流では2万Vの50Hzと60Hzの双方の周波数に対応し、3種類の電源で走ることができます。
日本は電源事情の制約から、東日本地域の周波数は50Hz、西日本地域は60Hzを基本としています。50Hzでは1秒間に50回、60Hzでは60回、電気の流れる方向が変わるということです。
EF81形が開発された頃は、関西から北陸方面を結ぶ北陸本線の電化が完了しつつある時期で、さらに東北方面では新潟と秋田を結ぶ羽越本線などの電化が進められていました。最終的には大阪から青森まで電化されるのですが、この区間を貨物列車などが通しで運行した場合、電源の都合で直流1500V、交流2万V・50Hz/60Hzの3種類の電化区間を通ることになります。このため、3種類の電源に対応した機関車が必要でした。
ちなみに、EF81の「E」は電気機関車(Electric locomotive)を、「F」は動輪の数を示し、アルファベットの6番目のFを用いることで、6つの車軸が駆動することを示しています。また、当時の国鉄の規定では、交直両用の電気機関車で最高運転速度が85km/hを超える車両は80番代に区分されるため、EF81もその規定に倣って80番代としています。
「銀釜」の由来とは
EF81形はおもに北陸方面や東北方面に導入されましたが、のちに九州にも進出します。門司駅(北九州市門司区)を境として九州内は交流電化でほぼ統一された一方、関門トンネルを通じた本州側は直流で電化されています。この境界をまたぐ列車が運行されているため、交直両用の電気機関車が必要とされたのです。
そして九州向けのEF81形としてつくられたのが300番代で、1973(昭和48)年に登場しました。従来のEF81形との最大の違いはボディで、関門トンネル内における海水の影響によって車体が錆びるのを防ぐべく、外板には腐食に強いステンレスを採用しています。また、温暖な九州地区で使用するため、北陸方面などで必要とされた耐寒・耐雪の機能を省いており、先頭部には雪かきがありません。
EF81形300番代は1975(昭和50)年までに301号機から304号機の4両が製造されました。なお、製造時の名目は、301号機と302号機が九州線フレートライナー列車増発用、303号機が新大阪-宮崎間の寝台特急列車増発用、304号機が関門間の貨物列車増発用でしたが、実際には別け隔てなく運用されました。
ところで、蒸気機関車が蒸気を発生させて走っていた流れで、機関車を指して「釜」と呼ぶことがあります。EF81形300番代ではステンレスの車体と相まって、いつしかファンのあいだで「銀釜」と呼ばれるようになりました。
最後の「銀釜」303号機
今回、定期運行を終了した303号機はEF81形300番代で最後まで残った1両で、1974(昭和49)年に日立製作所で製造されました。
登場当初は下関~門司間などの関門トンネルを擁する区間で使用され、貨物列車だけでなく、東京や関西地区から九州各地を結んだ寝台特急(ブルートレイン)のけん引にも用いられています。のちに301号機と302号機の車体はローズピンクに塗られてしまいますが、303号機と304号機の2両だけがステンレスの銀色のままで残りました。
九州内での活躍 2014年に網羅!
国鉄の分割民営化に伴い、1987(昭和62)年にJR貨物の車両となりますが、JR貨物への移行を前にした1986(昭和61)年には、重連総括制御に改造されます。これは、機関車を2両連結した重連の状態でも、あたかも1両の機関車として運転できる機能で、この改造によって重量のある貨物列車でもけん引できるようになりました。
関門トンネル内には最大22‰の勾配(水平方向に1km進んで22m上る〈下る〉坂道)があり、重たい貨物列車をけん引するには機関車1両だけでは力不足だったのです。
JR貨物に移行してからは、ほかのEF81形も加わって、九州内での活躍が増えます。1988(昭和63)年からは福岡貨物ターミナル(福岡県福岡市)まで乗り入れ、その後の定期運行では2010(平成22)年、鹿児島本線の八代駅(熊本県八代市)と長崎本線の鍋島駅(佐賀県佐賀市)まで活躍の場が拡大しました。しかし2012(平成24)年、関門トンネルを走行して本州へ乗り入れる役目を後継の機関車に譲り、以後は九州内の交流電化区間だけで使用されるようになりました。
2013(平成25)年には日豊本線の南延岡駅(宮崎県延岡市)へ、2014(平成26)年には鹿児島駅まで乗り入れ、南九州に進出して九州全域を網羅するほどにまで活躍の場は拡大。ただ、これらはあくまでも定期運行のハナシで、鹿児島駅には2010(平成22)年頃に302号機が入線した実績もあります。
こうして走行するエリアが拡大する一方、老朽化によってEF81の淘汰も進められました。304号機は2015(平成27)年頃に廃車となり2020年に解体されたほか、301号機と302号機も2016(平成28)年頃に廃車となり、301号機は2021年に、302号機は2020年に解体されています。以後は303号機が最後の「銀釜」として残っていたのです。
なお、今回はJR貨物からEF81形自体の定期運行も終了しています。以後は臨時の貨物列車やほかの機関車の代わりに使用される程度となり、このままフェードアウトとなりそうです。
「銀釜」は事実上の引退となりましたが、後継のEF510形300番代には銀色の車体色が引き継がれています。