
行政、民間、地域内外の人たちのハブとなり、経営的視点で女川町の復興まちづくりを推進している、NPO法人アスヘノキボウ。東日本大震災を機に生まれ、変わろうとしている地域に根ざして課題を解決し、新しい地域のあり方を創造している団体です。その活動は、まちづくり計画のみならず、事業者の事業再建や創業支援まで多岐にわたっています。「地方に関わるきっかけプログラム」の主催者であるアスヘノキボウ代表理事の小松洋介さんに、地方の課題をどう解決し、生まれ変わらせているのか、お話を伺いました。
人口減少という社会課題に向き合う
これから急激な人口減少社会に突入する日本。地方に目を向ければ、それはすでに事象として起きています。
震災以降、女川には世界中から企業や研究者、学生が視察に訪れるようになりました。彼らの関心は、「震災によって他の地域よりも早く深刻な人口減少が訪れている被災地は、どうやってその課題に立ち向かうのか」ということ。
先進7カ国も少子高齢化と人口減少という同じ課題を抱えているため、私たちの動向が高い注目を集めているのです。この課題を解決できたら、日本だけでなく世界中の課題を解決する糸口になるかもしれない。
ただ、そこでどうしてもネックになるのが、地方の人材不足です。人がいないと、「地域内でのヒト・モノ・カネ・情報の循環」が難しい。そこで私たちは、行政と民間、地域外の人を巻き込んでつなぐハブとなり、社会課題に向き合う役割を担っています。
まちの人事部として、人をつなぐ
具体的には、女川町を一つの会社に見立てたときに足りていない、3つの役割を担っています。一つはまちの人事部機能、二つ目はまちの経営企画機能、最後はまちの事業開発機能です。
人事部としての役割は、外から人を連れてきて、人と人とをつなぐこと。たとえば、2泊3日の「地方と関わるきっかけプログラム」や、地方で起業したい人をサポートする「創業本気プログラム」、5〜30日間の「お試し移住プログラム」を定期的に実施。特に、お試し移住は年間約50名が参加してくれています。こうして、まずはまちを知ってもらい、好きになってもらい、気に入ってもらったら住んでもらう。そのきっかけを作っているところです。
ほかにも、駅前に建てたコワーキングスペースは町内外の人に自由に使ってもらったり、一つのテーマに対して立場や年齢、地域を超えてみんなで話し合うセッションを開催したりしています。そのセッションから、冬にこたつに入りながら見る映画祭や、女川らしいお菓子のお土産開発と販売、駅前商店街シーパルピアでのウエディングプロジェクトなどが生まれました。
曖昧な噂話や感覚をデータにして可視化
次に、経営企画部の役割として取り組んでいるのは、まちのあらゆる情報をデータにして可視化する「データ事業」です。きっかけは、ハリケーンでまちの8割が水没したニューオリンズが、復興のために独自のデータブックを作っていたこと。
たとえば、「ここより向こうの地域の方が、住宅供給が早いから、私たちは不利だ」という噂が出たら、実際の住宅供給率データを作って公開。すると、曖昧な噂話が本当なのかが一目瞭然になりますよね。そうして作った分厚いデータブックを活用して、政府に復興予算を申請していたのです。
これは女川でもやるべきだと思い、早速ニューオリンズからデータセンターの所長に来日してもらって、女川独自のデータブックを作りました。
具体的には、「女川に若者がいないのは仕事がないからだ」という噂話があったので、人口と仕事の相関関係を石巻圏、仙台圏、女川町で調査。すると、仙台は仕事が少ないのに若者が増えていて、石巻には仕事があるのに若者が減っていた。そうなると、議論は職種の幅や魅力的な仕事があるかないかに変わりますよね。仕事がないから若者がいないわけではなかったのです。
また、地元の水産加工会社から「女川港での水揚げがないと商品を作れない」と言われたので、裏付けを取るためにもその関係を調べてみると、見事に影響していました。そのデータを見せたところ「やっぱり。これは対策を打たないとマズイ。共倒れになるね」と、水産加工会社が漁師を育成するという新しい動きにつながったのです。
こうして、人が不安に思っていることや噂話を聞いたら、それが本当かどうかをデータ化することで、確実に課題を解決するための事業開発につなげています。
日本の医療費問題を女川で取り組む
最後に、事業開発の機能として、今最も注力しているのが、健康プロジェクトです。女川住民の健康状態をデータで可視化すると、メタボ率が高い・健康診断の受診率が低いなどの結果が出ました。これを放置してしまうことで起こるのは、医療費の増大です。
すべきは予防医療。これを進めるために、ロート製薬と女川町、アスヘノキボウの3社が提携して、女川から日本の予防医療を考えるというプロジェクトが動き始めました。
医療費問題は女川や地方の課題ではなく、日本の課題です。もし、女川で解決の糸口が見えたら、それは全国の価値につながるでしょう。
危機的状況が生み出した強い連携
大震災で大きな被害に遭った女川は、新しいまちへ生まれ変わろうとしています。なぜそれができるかといえば、震災という危機的状況に直面したことで、地域の人たちは本気でまちをどうするかを考えたから。行政と民間が連携しているのも、セクターや世代に関係なく向き合おうと、変わったからです。
私はこれまで、経済危機や災害によって大変な状況になった世界中の地域を見て回りましたが、どこも女川と同じような現象が起こっていました。
住民の多くが本気で向き合い、外の人を受け入れて多様な社会を作りながら復興して、新しい社会を作っていく。女川は今まさに、新しい社会を作り出している現場。将来あるべき地方社会の姿、理想の未来を作っている最中です。
女川には、世代の壁も、地域内外、国内外、行政・民間といった壁もありません。かつては閉鎖的だった小さなまちですが、被災して、自分たちの力だけでどうしようもなくなったことで、あらゆる人・地域とオープンに連携し、多様なまちになりました。いろんな人が出入りするから、たくさんの偶発的な出会いがあり、それをきっかけに新しい変化が起きている。
この状態をいかに継続するか、当たり前の状態にするかが大切だと思うので、私たちは次世代がこの流れや文化を引き継げるよう、まちに足りない機能を補う活動を続けたいと思っています。女川から日本の社会課題を解決するために。
(文:田村朋美、写真:増山友寛)