【地方に関わるきっかけプログラムVol.3】女川発、震災後の起業家たち

宮城県女川町には震災をきっかけに起業された方が複数いらっしゃいます。NPO法人アスヘノキボウ主催「地方に関わるきっかけプログラム」では、震災後に起業された、みなとまちセラミカ工房の阿部鳴美さんとSUGAR SHACKの崎村周平さんが、どのような経緯で、どのような課題を解決するために起業されたのか、語ってくださいました。

NPO法人 みなとまちセラミカ工房 阿部鳴美さん
「色をなくした女川のまちをスペインタイルで明るく彩りたい」という思いから、震災後にスペインタイルの工房をオープン。スペインの材料と技法を使い、一枚一枚手描きで色付けをして焼き上げています。色あせないタイルにたくさんの思いを込めて。

スペインタイルとの出会い

私がスペインタイルと出会ったのは、震災後のこと。運命とも思えるようなさまざまな出会いとご縁によって、工房を開くこととなりました。

物作りが大好きな私は、長年陶芸サークルで趣味の活動をしていました。しかし、津波はその設備をすべて飲み込んでしまった。自宅も流されたため、私は避難所生活を続けていたのですが、被災から半年が経って少し心に余裕を持てるようになると、「また陶芸をやりたいな」と思うようになりました。

そこで、陶芸仲間に半年ぶりに連絡を取って集まると、みんなも「陶芸をやりたい」と同じ気持ちでいたんですよね。そろそろ自分たちの好きなことをしてもいいのではないかと。ただ、場所や窯、粘土など全て津波で流されてしまったわけですから、やるなら自分たちでどうにかするしかありません。

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資金集めのためにファンドや助成金を探して応募してみましたが、復旧復興で大変な時期に、私たちの趣味に付き合ってくれるところはありませんでした。

そんなとき、私の運命を変えた、ある女性との出会いがありました。その方から持ちかけられたのは、女川とスペインの異文化交流をしたいという話。色鮮やかなスペインタイルを女川のまちづくりに使いたいから、勉強をしに東京へ一緒に行かないか、と。その方には焼き物経験がないから、陶芸など焼き物経験のある人を探していたそうなんです。

「スペインタイルってなんだろう・・・?」そう思いながらも、彼女に誘われるまま東京の教室に数回通い、研修旅行でスペインへ視察に行くことになりました。ただ、出発の日は奇しくも震災から1年後の3月11日。気乗りしないまま、私は飛行機に乗りました。

なくなった景色や思いをタイルに込めたい

初めて降り立った、スペインのバレンシア近郊。町中がスペインタイルで彩られていて、日本を出たときの複雑な気持ちが一瞬で吹き飛ぶくらい、本当に心が踊りました。レストランや公園、ベンチ、教会、表札、郵便受けなど、いたるところにタイルが使われていて、明るい街並みに希望を感じたんです。

博物館には、100〜300年前のタイルがたくさん展示してあって、それらの作品を通して、当時それを作った人とつながったような感覚にもなりましたね。「女川になくなってしまった景色やいろんな思いをスペインタイルに描いて町中を彩り、後世に伝えたい」そう強く思いました。

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帰国後、その思いはどんどん強くなりましたが、もともとパートで働きながら趣味の陶芸をしていた私には、その思いをどう形にしたら良いのかがわかりません。きっかけを作ってくれた彼女も美術の教師としての本採用が決まり、スペインタイルに時間を費やせなくなってしまいました。

だけど、諦めたら絶対に後悔する・・・。そう悩んでいたときに出会ったのが、NPO法人アスヘノキボウの小松さんでした。小松さんにスペインでの体験や、スペインタイルで女川を彩りたいという夢を話すと、「ぜひその夢を一緒に叶えましょう」と背中を押してくださったのです。そこから、私の挑戦が始まりました。

未来の子どもたちに、色あせない女川をつなげたい

右も左もわからない、熱い思いしか持ち合わせていない私に対して、小松さんは本当にたくさんのアドバイスをくれて、いろんな方をつないでくださいました。ただ、タイルづくりを事業としてやるからには、自分たちが高い技術を持っている必要があります。国からいただいた250万円の助成金は、ほとんど東京での研修に費やして技術を磨き、陶芸仲間を含む6人のスタッフと共に、2013年4月にNPO法人として工房を立ち上げました。

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工房の設立から約4年。ありがたいことに日本全国から注文が入るようになり、少しですが海外からも注文をいただけるようになりました。そして、女川のお店や施設の看板、家の表札、そして駅前商店街シーパルピアなど、女川のいたるところにスペインタイルが飾られるようになり、「スペインタイルで女川を彩る」という私の夢は、少しずつ実現し始めています。

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私は被災したことで多くを失いました。だけどその反面、スペインタイルとの出会いや、小松さんをはじめとしたたくさんの方とのご縁に恵まれました。このご縁を後世にまでつなげるために、スペインタイルで未来の子どもたちに、色あせない思いを伝えていきたいです。

SUGAR SHACK 崎村周平さん
「絶対に後悔しない生き方をしたい」と、スプレーで絵を描くグラフィティーやデザインの仕事をしながら、バー「SUGAR SHACK」を経営する崎村さん。震災をきっかけに、これまで話したこともなかった行政や団体などとつながって起業し、若い世代と先輩世代をつなぐ「ハブ」に。

絶対に後悔しないように生きたい

僕は女川生まれ女川育ち。女川は遊び場として大好きだったけど、震災前はまちの人と関わることがほとんどありませんでした。というのも、僕は会社員のかたわら、スプレーで壁に絵を描く、グラフィティーアーティストでもあったから。グラフィティーは落書きに思われるので、まちの人から怒られるんじゃないかと、避けていました(笑)。

そんな僕の日常や生き方を大きく変えたのが、東日本大震災。大切なものを失い、今後の人生についてものすごく考えるようになりました。絶対に後悔しないように生きたい、好きな絵を描いて生きていきたい、そう強く思い始めた頃、女川復興連絡協議会という団体から連絡がきたんです。

「商工会で会議をやるから、来てくれ」、と。そもそも女川の人とはほとんど関わりを持っていなかったし、「商工会って何?」状態だったので、何で僕に声がかかったのか、さっぱりわかりませんでした。

恐る恐る商工会に行くと、僕の他にも若いデザイナーと皮職人が集められていて、「若い人が働ける女川を作りたい」と言われたのです。たしかに震災前から女川には新規事業みたいなものはあまりなく、代々受け継がれている家業がメインでした。

家業がないと、まちの人とのつながりも薄いし、付き合い方がわからない。そこで僕ら3人は、「きぼうのかね商店街」に出店していたお茶屋さんの一角を間借りして、小さいカフェスペースを作り、僕らを知ってもらうことから始めました。

きぼうのかね商店街

お茶屋さんは、昔からまちの人とつながりがある方で、お茶を買いに来る人と少しずつ顔見知りになれたのは、ありがたいことでした。そうやって、コツコツとつながりを作り、少しずつデザインや絵の仕事を増やしていきましたね。そして震災から4年後、僕はデザイナー兼バーのオーナーとして独立しました。

世代間のつなぎ役へ

きぼうのかね商店街でバーをプレオープンし、その後、新しくできた駅前商店街のシーパルピアに移転。店名は、あるCDアルバムのジャケットに描かれていた絵の名前「SUGER SHACK」からつけました。

その絵に描かれていたのは、砂糖を作る小屋で働く人たちが、夜外に明かりが漏れないよう、一つだけつけたライトの下で踊っている姿。あの絵のように人が集まって楽しめる、そんな場所を作りたいと思いました。

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ただ、女川の復旧復興は終わっていないし、半分以上の人が仮設住宅で暮らしているなか、正直、ここでバーを経営して儲かるかというと、儲かりません。それよりも、女川にはいろんなものが足りていないのだから、それを補うビジネスをやれば儲かるのはわかっています。それでも僕がバーを作ろうと思ったのは、若者を楽しませたいし、家の外に出てもらいたいと思ったから。

震災前、僕は騒いでも大丈夫なように、仲間と防波堤に集まってお酒を飲んだり、音楽を流したりして、思いっきり楽しんでいました。でも今はそれすら難しい。同じようにエネルギーのある若者が気兼ねなく楽しめる場所は必要で、それを作りたいと思ったのです。

だからお店を“遊び場”として、店内にミニ四駆のコースを張り巡らせた「ミニ四駆ナイト」や、お客さんがスタッフになる「スナック定置網」、女川のストリートミュージシャンのリリースライブなど、とにかく楽しんでもらえる企画と空間を作っています。

お店を構えた、シーパルピア女川

女川町の復興はこれからも続くし、女川町自体も続いていきます。むしろ、続けていくためには、今まちを引っ張ってくれている40代の方たちの次は僕らが引き継がないといけないし、その次はさらに下の世代に引き継いでもらわないといけない。そのバトンをうまく渡していくには、いろんな世代の人とのつながりがないと難しい。

ありがたいことに、SUGAR SHACKには、震災をきっかけに僕とつながった40代以上の先輩たちも、20代の若い人たちも遊びに来てくれるようになりました。だから、僕はうまく世代間の「つなぎ役」になりたいし、この店をつながりの場にしたい。そうして、大好きな女川を未来につなげたいと思っています。

(文:田村朋美、写真:増山友寛)

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