「綾町の魅力を100年先まで伝えたい」——aya100プロジェクトと梶山商店が未来につなげたい想い

約30年前から、全国に先駆けて自然生態系農業に取り組む、有機栽培のまち・宮崎県綾町。自然と調和したまちで作られている有機野菜は、今さまざまな方面から注目を集めています。そんな綾町に家族と移住し、直売所勤務をきっかけに、綾町の魅力に心を奪われたのが、aya100プロジェクトと梶山商店の代表を務める梶山剛さん。100年先までこの魅力を伝えるべく活動を続ける梶山さんに、その思いを伺いました。

きっかけは、綾手づくりほんものセンター

有機栽培発祥の地、綾町。僕は、長年守り継がれてきた大地と、ここで本物の野菜を作る農家の姿や思いを100年先まで伝え・残したい。その思いからaya100プロジェクトを始めました。

きっかけは、「綾手づくりほんものセンター」というまちの直売所で店長を経験したこと。これまでの店長はほとんどが60代でしたが、僕は30代。そのうえ岩手県出身で、ニューヨークでDJ活動をしていたような、綾町とは縁もゆかりもなかったよそ者です。当然話題になったし、「あんな若いやつで大丈夫か?」という目で見られました。

綾手づくりほんものセンター

綾手づくりほんものセンターは農家さんが収穫した野菜を販売するため、僕が信頼されないと、売り上げにも影響が出てしまう。だから時間を作っては畑に出向き、信頼関係を築くところから始めました。そうして、綾町や農家の仕事を知るうちに、「農家さんや綾町のためになる活動をしたい」という思いが日に日に強くなったのです。

まちぐるみでの有機農業。課題は高齢化と後継者不足

1988年、綾町は全国に先駆けて、「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定しました。当時は、合理性や生産性の観点から化学肥料や農薬が大量に使われていたころ。自然のままの農業を進めると、規格外の野菜がたくさんできますが、当然それらの販路は直売以外にない時代です。

それでも綾町は、農作物の安心安全を見直し、豊かな自然に育まれてきた大地を生かした農業をしようと、まち全体で進めてきました。簡単なことではなかったと思いますが、先輩たちが健康で豊かにした土を大切に守り継ぎ、安心安全のどこにも負けない野菜を育てている農家は、綾町の魅力であり誇りなのです。

僕は、そんな綾町と農家のことを、どんどん好きになっていきました。

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ただ、他の地域と同じように、綾町も農家の高齢化と後継者不足という深刻な問題を抱えています。大好きな農家が一人、また一人といなくなっていく現状をどうにかしたい……。僕は農業を引き継げないけど、その魅力を多くの人に知ってもらい、農業をやりたい人や綾町と関係を持ちたい人を増やしたい。そこで、綾町の今を100年先まで伝えるための映像を残すべきだと考えました。

今の姿や思いを映像にして、100年後まで残す

それからは、店長の仕事が終わると、仲間を集めるために僕の思いをとにかくいろんな人に伝えて回りました。半年かかりましたが、なんとか賛同する仲間を集め、aya100プロジェクトとして100年後に残す映像を完成させたのです。

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今の姿や思いを映像で残すことの価値は、それからすぐに綾町の人たちにも伝わりました。それは、年に一度開催されている、有機農業の事例報告や有識者による基調講演、直売会などを行う、まちをあげての「有機農業まつり」でのこと。

年間1人だけ優れた農業従事者を表彰する式があるのですが、その年に表彰されたのは亡くなってしまった方でした。ただ、表彰式の前にaya100で作った映像を流していて、そこには映っていたんですよね。

表彰された方のご家族から、「久しぶりに生きているお父さんを見ました。しかも大画面で。ありがとう。」と言われ、これが映像の価値だなと実感しました。

もし、100年後の綾町が元気を失っていたとしても、今の綾町の姿を映像で見て誇りを取り戻し、一歩を踏み出すエネルギーになったら嬉しいなと思っています。

以降aya100は、綾町の魅力を100年後に伝えるために、東京などでのイベントやWebなどを通じた「情報発信」と、持続可能な地域経済を作るために生産者と取り組む「商品開発」、「販路開拓」に取り組んでいます。結果、六本木や丸の内の一流レストランとも取引きするようになりました。

ただ、綾手づくりほんものセンターの店長とaya100のプロジェクトリーダーという二足のわらじ状態だったので、もっと農家と綾町のためになる活動をするために、2017年1月に独立。梶山商店としての再スタートを切りました。

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農家を稼げる職業にして未来につなげたい

これから注力したいのは一次産業の加工品を作って販売する六次産業のビジネスです。有機栽培をする綾町では、規格外の野菜がたくさん収穫されます。味も安全性も確かなのに、規格が違うというだけでなかなか売れません。特に、お米は除草剤や農薬を使わずに栽培するため、等級外という一番低いランクをつけられてしまう。だから作っても赤字になるという問題があるんですよね。

そこで、綾町のお米を食べてもらうために、「玄米米粉のグルテンフリーカレー粉」を作りました。他にも米粉コーヒーや、一番美味しい時期に採れたニンジンのフリーズドライなど、ラインナップはこれから次々と増やしていきます。

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価値の高い生産物を加工して、安心安全を求める人たちに届く流通に乗せ、将来的には綾町のものがセットになった梶山商店セットが売れるような状態を作りたい。何か一つ、突き抜けた事例を作れたら、そこから少しずつでも変わっていくと信じています。

「綾町の魅力を100年後に伝えるために」。僕は、綾町や農家のためになることなら、全力でやっていきたいと思っています。そして、子どもたちの目に「農業は稼げる仕事」であると映り、農家や直売所の店長、僕らのような地域商社の仕事は「かっこいい」と思ってもらえて、進学や就職で綾町を出て行っても、いずれ「帰ってきたい」と思えるまちを作っていきたいと思っています。

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