温泉起点で広まる若者の移住。最北の小さな町に起こった、大きな変化

人口4000人の小さな町の温泉に、年間で延べ2万8000人もの湯治客が訪れています。そこは稚内の下に位置する北海道豊富町、最北の温泉郷「豊富温泉」。奇跡の湯とも言われ、湯治をきっかけに移住する人も少なくありません。人はなぜ豊富温泉に惹かれるのか。豊富温泉を全国に広めるために活動を続ける、総務課地域振興係 課長補佐兼係長の能登屋将宏さんにお話を伺いました。

地元の理解と移住者のアイデアで町が変わる

——豊富温泉と同じ泉質を持つ温泉は、日本では他に存在しないと言われています。その理由を聞く前に、年間でどれくらいの人が湯治に訪れているのかを教えていただけますか?

数日から数カ月滞在する「湯治」で訪れる人は、年間で延べ2万8000人です。これは、民間の宿泊施設だけで湯治された方の数は入っていないので、実際はもっと来ていると思います。ちなみに、豊富町の人口は4000人。実は、牛の数の方が多くて、1万4000頭もいるんですけどね(笑)。

人口より多い牛たち

——人口4000人の町に、その7倍もの人が湯治で来られているとは、すごい!

それ以上にすごいのは、これまでに湯治をきっかけに移住した人が何十人もいることです。しかも、その多くは20代〜30代の若い方たち。高齢化が進んだ小さな町なので、正直言って移住者に仕事を提供するのは難しい。だけど、彼らは専門的なスキルを持っているケースがとても多く、逆に仕事を作ってくれています。

たとえば、温泉のコンシェルジュ・デスクで働いて、初めての湯治客にアドバイスをする方、住民向けにヨガ教室を開くヨガのインストラクター、グッズやお土産などのパッケージデザインをしてくれるイラストレーター、サイトを構築するWebデザイナー、カフェの経営者。ほかにも、近隣の役場や病院などで働く方もいらっしゃいます。

割り箸の包み紙

ヨガのインストラクターがいなかったら、豊富のお年寄りが運動をして健康を保つ方法は散歩くらいしかありませんでした。デザイナーがいなかったら、商品や町、温泉などを魅力的に「見せる」こともできなかったでしょう。

そして何より、道外からたくさんの移住者がいなかったら、地元の人が地元の魅力、たとえば「豊富で見る星空や夕日に価値がある」ことに気づけなかったと思うのです。

——外から新しい視点や考え方、アイデア、東京に集中しがちな専門スキルが、豊富町にどんどん集まっているのですね。

そうなんです。気づきも多いし、知らないこともたくさんあるので勉強になります。しかも、今まで何もなかったところに、新しいものがどんどん生まれていくので、温泉を起点に隣町も含め、みんなが元気になっていますよ。

豊富町で見られる星空

石油や天然ガスと湧き出た温泉

——なぜ豊富温泉は、湯治をきっかけにした移住が多いのでしょうか。具体的に、どのような温泉なのかを教えてください。

北海道は明治時代に開拓されるまで、手つかずの自然が広がる大地でした。豊富町自体も開拓されて町になったのは今から約120年前のこと。そこで温泉が見つかったのは、90年前。日本各地の温泉街は何百年と歴史を持っていることが多いので、豊富温泉は歴史の浅い温泉ですね。

しかも、最初は温泉を掘ったのではなく、「どうやらこの辺りに石油が眠っていそうだ」と石油の試掘を行ったところ、地下から温泉と天然ガスが吹き出したのが始まりでした。

——石油ではなく温泉を掘り当てた、ということなのですね。

そうなんです。しかも、石油や天然ガスと一緒に湧き出たため、源泉は石油のにおいと油分を含むという珍しいものでした。体に油分がトロッとまとわり付くので、それを知らないで入浴するとちょっと驚くかもしれません(笑)。でも、この泉質こそ、「奇跡の湯」と呼ばれ、多くの方に必要とされるものだったのです。

豊富温泉

豊富温泉は、最後のとりで

——豊富温泉が「奇跡の湯」である理由を教えてください。

豊富温泉の奇跡は、その効能にあります。昔は、「やけどがキレイになった」という口コミが広まって、北海道内やサハリンからの温泉客が増えたそうです。それが、1990年代の研究によって、「乾癬(かんせん)」という皮膚疾患にも効能がある可能性がわかり、さらに2000年代には、「アトピー」にも良いかもしれないと広まりました。

口コミはやがて全国に広まり、皮膚疾患に悩む方が湯治で訪れるようになりました。小さいころからアトピーを患い、大人になって状態が悪化し、ある日どうにもならなくなって、藁をも掴む思いで来た、という方がたくさんいらっしゃいます。

——アトピーは悪化すると痛くて服も着られないし、夜も眠れない、仕事にも行けないと聞いたことがあります。

そう。大変だった方のお話は、これまでたくさん聞いてきました。もちろん、そういう方が温泉に入ったからといって完治するわけではありません。でも、最悪だった状態がしばらく良くなる傾向にあるんです。

湯治に来た方から、「頼れる場所を見つけたことで、前向きに生きられるようになった」という話を聞くと、今までは「平凡で何もない、ただの田舎町」だと思っていた豊富町が、たくさんの人を支える光になれるかもしれないと思いましたね。

実は、豊富と同じ泉質を持つ温泉は、世界に2カ所しかなく、国内は豊富温泉だけだと言われています。これは、小さな町が多くの人の役に立てるかもしれないという、奇跡。この希望を後押しするかのように、2015年には温泉療法医がすすめる「日本の名湯100選」に選ばれました。

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港区の銭湯で体験イベントを実施

——豊富町は、豊富温泉を全国の人に広めるために、いろんな取り組みをされています。その内容と、活動に力を入れる理由を教えてください。

豊富温泉を広めたい理由は、訪れた人のほとんど全員が「もっと早く知りたかった。知っていたらこんなに悩まなかった」と口を揃えて言うからです。湯治に来られている方の壮絶で深刻な話を聞けば聞くほど、こんなにも必要とされているのに、広く周知しないわけにいかないと思うようになりました。

だけど、豊富町は北海道の北にある小さな町。単純に豊富町や温泉をアピールしたところで、なかなか来ようと思わないでしょうし、そもそも「豊富町ってどこ?」ってなりますよね。

そこで、まずは温泉の存在を知って体験してもらうために、東京の港区で「豊富温泉体験WEEK」というイベントを開催しました。これは、港区内5カ所の銭湯のうち4カ所で豊富温泉を体験できるというもので、港区と連携して行いました。

銭湯も港区も豊富町も初めての取り組みだったので、うまくいくかわかりませんでしたが、イベントは新聞やラジオでも取り上げられ、銭湯は平日でも整理券を出すほどの大盛況に! 小さな田舎町を東京の真ん中で発信するって、結構すごいことですよね。

イベントを開催

——実際、「今日は豊富温泉という温泉に入れるらしいよ」と話しながら銭湯に入っていく方を何人か見ましたよ。

うれしい限りです。しかも、今回は比較的若い方にたくさんご来場いただき、豊富温泉を知ってもらえたので、今後も取り組みを続けたいと思っています。

——最北の温泉郷である豊富温泉。もっと多くの人に知ってもらいたいですね。

それが私たちの最大の願いです。皮膚疾患で苦しみ、悩む多くの人に、豊富温泉という選択肢があることを知ってもらいたい。それは私だけでなく、豊富町としても、町民としても同じ想いを持っていて、そのためにできることなら、なんでもやる覚悟です。

特に、皮膚疾患を持つ人は周りに理解がないと、生活しにくいと聞きます。だけど、豊富町にはたくさんの湯治客がいて、湯治をきっかけに移住した人が大勢います。そうした移住者を受け入れている地元の人にも、理解がある。

お互いが理解し、お互いが元気になって、何もないと思っていた小さな町に、新しいものが生まれていく。その相乗効果が大きいので、町と人の未来は明るいと感じています。

それから、最北の温泉郷というと、なんだかすごく遠い場所に思えるかもしれませんが、豊富町は稚内空港から車を40分程度走らせれば着きます。ツアーや学生向けのアトピー留学なども計画しているので、それらも活用してもらいたいですね。

豊富温泉を知ってもらうことで、たくさんの人に笑顔が戻ることを心から願っています。

(取材・文:田村朋美、写真:増山友寛)

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