戦車界の“最速伝説” FV101「スコーピオン」なぜ生まれた? ギネス級の最高速度とは

世界最速の戦車は、記録がある車両の中ではFV101「スコーピオン」といわれています。そこまで高速だった理由としては1960年代のイギリス軍の戦術的な考えが影響しています。

世界最速の戦車=スコーピオン

 戦車は意外と速いものです。例えば陸上自衛隊が運用している10式戦車は、整地であれば70km/h以上出すといわれています。 この10式の最高速度は、現在の主力戦車の中では速い方に分類されます。しかし、2023年のいま世界で運用されている主力戦車より、さらに速い戦車が1970年代に開発されていました。

 その戦車の名前は、FV101「スコーピオン」。イギリス製の戦車で、履帯(キャタピラ)にも関わらず、タイヤをはいた装輪戦車並みの最高速度82.2km/hという高速を叩き出し、「世界最速の量産戦車」としてギネス世界記録を現在も保持しています。なぜここまでの高速の戦車が完成したかというと、当時イギリス軍が考えていた戦術が大きく影響しています。 イギリス軍では空挺降下や偵察時に孤立した、携行火器しか持っていない火力に乏しい部隊などを支援するために、砲などの重火力や敵の弾丸に耐える装甲を持った兵器を迅速に空輸できないかと考えていました。 そこでイギリスでは、思い切って戦車そのものを空輸してそのまま戦闘に使えるようにと考えます。アメリカ製のM5軽戦車に主力軽戦車の座を奪われ、たまたま余っていたMk.VII「テトラーク」軽戦車を、軍用グライダー「ハミルカー Mk I」に搭載し、一応の成功を見ます。 戦後には、もっと多くの軽戦車を空から持ち込んで戦いを有利に進めたいと考えるようになります。さらに偵察用の装輪装甲車、FV601「サラディン」の後継車両の問題もあったことから、この偵察用装甲車と、空輸可能な空挺戦車を統合した戦闘車両としてFV101「スコーピオン」の開発を始めました。

奇抜な兵器の割には世界的なヒットに

 しかし、輸送機に積んですぐに作戦可能な戦車を作るというのは簡単な話ではなく、スペースと積載量の関係からサイズと重量に大きな制約があり、困難を極めました。 それでも1960年代前半になると、新型空挺戦車開発の権利を獲たアルヴィスで、鉄よりも軽い、アルミニウムを戦車の装甲に使う方法が考え出されます。さらに、戦車用のエンジンより軽い、市販のジャガー製XK6直列6気筒液冷ガソリンエンジンを改造して積むことで、軽量化と省スペース化を実現。まず1970年5月にイギリス陸軍との間に275両の購入契約が締結されます。 FV101「スコーピオン」の車体重量はわずか8tと、当時の戦車としてはかなり軽く、C-130「ハーキュリーズ」に2両格納して運べるほか、大型ヘリコプターでも吊り下げて空輸でき、イギリス軍の要望を満たしていました。そしてその軽さにも関わらず、同車は76mmカノン砲を搭載し、HESHという特殊な砲弾を使えば、ソ連製のT-55戦車でも撃破が可能でした。 装甲に関しては重機関銃の弾丸や砲弾の破片から身を守る程度のものでしたが、空輸を目的として徹底的に軽量化した車体であるため、速度は高く、偵察や空挺作戦を行うには適していました。 しかし、ソ連軍を始めとした東側陣営の国がT-72戦車を投入しだすと、さすがに「スコーピオン」を戦車として扱うのは困難だとして空挺戦車や軽戦車扱いはされなくなり、主にその足の速さを活かした偵察車両として使用されることになります。

 偵察車両としての「スコーピオン」の寿命はかなり長く、1982年のフォークランド紛争や1991年の湾岸戦争に参加。イギリス陸軍では1994年に退役しましたが、アイルランド軍やボツワナ軍など、陸軍が小規模な国では2023年現在も戦車として使用しており、延命措置としてジャガーのガソリンエンジンをアメリカのカミンズ製ディーゼルエンジンに換装したタイプもあります。 奇抜な発想で作られたのにも関わらず、「スコーピオン」は最終的に3000両以上が製造されたヒット兵器となりました。2022年2月からロシアとの戦闘が続いているウクライナ軍も同車を欲しがったという話もあります。

「まだまだアイルランド軍では現役」射撃や走行演習中のFV101「スコーピオン」(動画)

externallink関連リンク

「ガトリング砲」と「バルカン砲」 何が違うのか? 一時は廃れていたガトリング砲 F-22×1万機でも届かぬ史上最強戦闘機F-106「デルタダート」 飛ぶのは人類最後の日! F-16に勝つ「三菱 F-1」どんな存在だったのか 戦後初国産戦闘機 多用途戦闘機の先駆け
externallinkコメント一覧

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)