成田闘争から半世紀“時代は変わった!”と心底思える 「日本一高い管制塔」ができる、その場所

成田空港に将来、国内で最も高い新管制塔が建設される予定です。この建設地とされているのは、「初代管制塔の跡地」。この場所は、同空港の激動の歴史を背景とした特殊な経緯をもっています。

一度反対派に占拠された「初代管制塔」

 成田空港の新たな滑走路建設に呼応して、国土交通省は2024年度予算の概算要求に新管制塔の整備事項を初めて盛り込みました。3代目となる管制塔が建てられるのは、初代管制塔の跡地付近です。成田空港の管制塔、およびこの建設予定地は、同空港の激動の歴史を背景とした稀有な経緯を持ったところです。

 成田空港周辺では建設を巡って1960年代半ばから、もともとの開拓農家と当時盛んだった学生運動の支援者が国と争う、激しい反対闘争が続いていました。しかし、国は空港建設を進め、1978年3月30日と決まった開港を阻止しようと、反対派は3月26日に「開港阻止決戦」に入ります。初代の管制塔が一時占拠されたのは、その日でした。 インターネットで検索すると今も記事が出るその事件は、反対派も予想外の成果だったようです。平成に入り、かつて反対派だった人が「油を持って占拠し、管制機器に撒けば、洗浄と交換に時間がかかり被害はもっと大きくなっていただろう」と話していたことからも、入念に準備をした結果ではなかったことが分かります。 初代管制塔の占拠が成功したことに反対派は沸き立ちましたが、この成功が、彼らに、空港建設を本当に阻止できるという“過信”を呼んだとの評価があります。一方でこの事件は、衝突を繰り返すのではなく、話し合いで解決をしなければならない機運が国全体で生まれる要因にもなりました。

2代目にバトンを渡した初代管制塔、その後は?

 初代管制塔はその後、上階を国の管制官が使い、下の階を新東京国際空港公団(現成田国際空港)の職員が地上走行する航空機と交信する「ランプコントロール」方式とし、2者が使い分けてきました。その後1993年、同空港には高さ87.3mの2代目管制塔ができ、管制官はそちらに移ることになります。 2代目が使われだした後の初代管制塔は、ランプコントロールのみを行う「ランプタワー」として2020年まで使用。その後のランプコントロール業務は、新たに2代目管制塔の横にできた「ランプセントラルタワー」で実施されています。なお、「ランプタワー」と管制塔を使って、空港内の行き交う航空機を違う組織の担当者が誘導するというのは、成田空港特有のオペレーションのひとつとして知られています。

 初代管制塔が占拠された激動の日々から遠く過ぎた日に、筆者は取材で初代の管制室に入る機会がありました。千葉県九十九里町や横芝光町の沖まで一望できる高所で、反対派がいきなりなだれ込み、管制官が屋上に逃げ出した事件の激しさが想像できました。 もちろん、占拠の痕跡などはなく、室内は交信のみが聞こえる静けさで、交信で喉が渇くために当番の勤務者が個々で用意した飲料水入りのペットボトルが目につく程度でした。それよりも印象的だったのは、役割分担が決められつつ「色々なところへ気を配る調整能力がある人が求められます」との、空港機能の維持へ最新の注意を払うランプコントローラーの言葉でした。 この管制塔こと旧「ランプタワー」の跡地に建てられる新管制塔は、国内でもっとも高い約120mになると計画されています。初代と異なり、2代目はこのままいけば波乱もなくバトンタッチができそうです。そして、3代目もつつがなく使われてほしいと願います。

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