日本の一次産業、食への誇りを取り戻すために。気仙沼・臼福本店5代目臼井さんの願い

明治15年に創業し、約130年の歴史を持つ漁業会社、臼福本店。魚問屋から始まり、突きん棒船、母船式鮭鱒、北転船、遠洋の鰹鮪船を経て、現在は遠洋マグロ延縄漁船6隻を手がけています。その5代目を務めるのが、臼井壯太朗さん。震災を通じて、改めて食の大切さを痛感した臼井さんは、「食育」と「日本の漁業に誇りを取り戻す」活動に取り組んでいます。日本有数の漁業のまち気仙沼での、臼井さんの活動についてお話を伺いました。

震災によって痛感した、食の大切さ

2011年3月11日の東日本大震災。私は宮城県の気仙沼で被災しました。その経験から、生きていくために大切な3つのことを強く再認識しました。1つはエネルギー。震災後、避難先に電気が戻ったのは震災から半月後で、生活は大変でした。

2つ目は人とのつながりです。知らない人でも、「がんばろうね」「おはよう」と声をかけ、助け合いました。もちろん、気仙沼にはたくさんのボランティアが来てくださり、多くの方に支援や応援をいただきました。人は一人では生きていけなくて、人とのつながりがとても大事であることを痛感しましたね。
そして3つ目は食。衣食住と言いますが、「衣」は震災当日に着ていた服で数日を過ごせましたし、「住」は家と会社は流されたけど、寒さをしのげる場所があれば生きていけました。だけど、「食」がないと生きるのは困難です。震災直後に支給された食事は、1日1個のおにぎりのみ。それをおかゆにすることで量を増やし、家族みんなで食べました。結局、1ヶ月で15キロも痩せましたが、みんなで食べ物をわけあったから生きてこられたのだと思っています。

食に携わる私が、食によって助けられた。だからこそ、食育や一次産業の誇りを取り戻す行動を起こし、発信しないといけないと考えました。

日本の一次産業へのリスペクトを取り戻したい

水産業や農業、林業、伝統工芸など一次産業が衰退し、全国各地で過疎化し始めている日本。その要因の一つに、建設土木業を中心としたまちづくりに問題があると考えます。

昔は地方のまちづくりの中心にいたのは基幹産業である水産業や農業などの一次産業。特に、島国である日本の地方では、全国の漁師さんが国境である漁場を守り、地形や四季、寒暖差を活用して農家さんが土地を耕して農作物を作り、職人さんの手仕事による伝統工芸などが発達しました。

建設土木業中心でまちづくりをすると何が起こるかというと、たとえば気仙沼は漁業があって成り立つまちですが、震災後は海も見えない巨大すぎる防潮堤ができてしまった。

それが悪いのではなく、水産業を営む人たちの姿や、現場である海がまったく見えなくなってしまうのは、海と共に生きてきたまちとしてのメッセージ性を失い、それが後継者不足に拍車をかけ、結果、まち全体の衰退につながると思うのです。これは一昔前に地方に造りまくったダム問題とある意味一緒だと思います。

以前、仕事でスペインに住んでいたとき、ヨーロッパの人たちは自国のものを大切にしていることを目の当たりにしました。ワインを一つとっても、スペインならスペインワイン、イタリアならイタリアワイン、フランスならフランスワインと、自分の地域のワインをリスペクトして愛している。もちろん、肉も魚も果実も同じ。子どもの頃からそうだから、それぞれに後継者がちゃんと育っています。

一方、気仙沼をはじめ日本の一次産業には、ヨーロッパのようなリスペクトが少ないため後継者不足が深刻で、衰退し始めています。日本人は外の世界をあまり知りませんが、日本のモノの価値を理解しているのは他国の人。日本人が自国の産業や良さをきちんと理解してリスペクトし、地域全体で支え、後世に伝えることが大切だと思っています。

気仙沼の魚を学校給食に普及させる会を発足

食の大切さを訴えるために、まず目をつけたのが学校給食です。理由は、気仙沼には新鮮で良い魚がたくさん水揚げされ、国内外で賞などを受賞している素晴らしい水産加工食品があるにもかかわらず、学校給食では外国産ばかりで、これらのものはほとんど出されていないから。

給食業界には地域ごとに専門の商社が存在し、1食260円ほどで商売をしているから、その金額で売り上げを出すためには、国産よりも海外から安いものを調達するほかない。日本のメーカーも、海外拠点で魚を加工し、日本に輸入するケースが多いので、当然、魚も外国産です。それを子どもたちが学校給食で食べていたら、地元はもちろん、日本の良さは分からないのは当然でしょう。
毎日必ず食べる給食ですから、もっと地産化、国産化しないといけないし、地元の子どもたちには地元の魚を食べてもらいたい。そして地元の歴史文化を知ることにより、私たちの暮らす地域にはこんなにも素晴らしいものがあるんだということを知ってもらいたい。その思いから、「気仙沼の魚を学校給食に普及させる会」を立ち上げ、気仙沼の魚を活用した給食を実現させました。

今は、地元の魚を使用した給食向け加工品を開発したり、官民一体となり活動することで、より地元の食材を使ってくれるよう働きかけを行ったりもしています。

また、食べるだけでなく漁師さんたちを学校に呼んで、実際に誰がどうやって獲り、どんな風に加工したのかなど、生産者から流通業者、給食を作る人のすべての流れを知ってもらう「食育授業」も実施。これまで、県内外の数多くの学校で授業をしました。

今後は、子どもたちの記憶に残すためにも、体験を充実させたいと考えています。魚市場や漁船の見学だけでなく、実際に子どもたちが加工体験をすると、「美味しかったから、また食べたい」と思ってもらえやすいんですよね。ワカメの種付けをし、収穫時に刈り取って食べたり、加工品をつくったり。

気仙沼の海、ひいては全国の海で、食の大切さを知り、漁業をはじめとした一次産業を誇りに思えるような食育が広がっていくことを望んでいます。

日本を支えているのはリアルな仕事をしている一次産業に従事する人たちです。そういう人たちの仕事や現実をみんなに見てもらって、そのカッコ良さを感じてほしい。世界に誇れる日本の漁業を子どもたちに知ってもらうことで、将来一人でも関わる人が出てきたら本望です。

魚の価値を地元の人や国民に知ってもらう地道な活動を続けることが、将来的な魚の値段や後継者につながると信じています。

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