山手線にある「埋められたトンネル」とは? ちょっとアタマ見えてる!? 120年前の“生き証人”

山手線内には、かつてトンネルが埋められたとされる場所があります。しかも、現在に至るまで、その上部がわずかに露出しているのです。これは車窓からも見ることができます。

「山岳路線」を実感? 山手線内の埋められたトンネルとは

 山手線内に、かつて「トンネルが埋められた」とされる場所があります。それを聞き、さっそく現地へ行ってみました。

 やってきたのは田端駅(東京都北区)の北口。駅舎は山手線と京浜東北線をまたぐ高架橋上にあります。ここから北へ、急坂を上って「田端高台通り」を歩くこと数分、山手線を跨ぐ「富士見橋」は、山手線がちょうど東北本線(京浜東北線)へと合流していくカーブを眼下に望みます。 この付近の山手線は深い切通しになっており、その南側のコンクリート擁壁に、それはありました。富士見橋のすぐ下に、レンガと石を組み合わせて作ったような、煙突にも見える突起がわずかに露出しているのです。下を通る山手線の車窓からも確認できます。 これは、埋められた「道灌山トンネル」のパラペット、つまり坑口上部の装飾とされています。原初の山手線はこのトンネルを通って、田端駅へ向かっていました。 古い地図を見ると、確かに富士見橋の前後にトンネルの記号があります。また、戦後まもなくの頃の航空写真では、線路は現在のルートになっているものの、このトンネルの坑口がまだ残っていたことも確認できました。 このトンネルはなぜ生まれ、なぜ埋められたのでしょうか。

原初の山手線ルートが「埋められる」まで

 山手線の池袋~田端間が開業したのは1903(明治36)年のこと。当時、田端が起点だった常磐線と接続し、主に貨物を輸送するためでした(田端~三河島間は貨物支線として現存)。この区間は7年後には複線化されますが、道灌山トンネルはもともと複線断面のトンネルでした。 1925(大正14)年には、既存の線路の北側に電車用の複線が完成し、この区間は複々線化されます。。さらに貨物線については、駒込~田端間で分岐して東北本線(田端操車場)へ直通する「中里トンネル」が1928(昭和3)年に完成。これが現在の湘南新宿ラインのルートです。

 こうして、中里トンネルから田端駅にかけての旧線は使われなくなり、しばらく放置されていたようです。しかし戦後、この部分は戦災の瓦礫が埋め立てられて擁壁となり、その過程でトンネルのパラペットの一部だけが露出したとされています。 この擁壁部分は、駒込側の切り通しと比べても確かに幅が広く、緩やかな傾斜になっています。真上からの航空写真で確認すると、擁壁の下に旧線があったことも頷けました。ちなみに、富士見橋に隣接する北区立の富士見橋エコー広場館は、旧道灌山トンネルの上に立っています。

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