
古い鉄道車両の個人所有が盛んなイギリスでは、結果的に解体を免れ保存車両の多さにつながっています。その環境を生んでいるのは、自由奔放ながら「鉄道愛」に培われてきた人々の気質でした。
「新しい家族」出迎えは”綱渡り級の難易度”!?
イギリスのとある製鋼所の敷地内で働いていた、小さな古い電気式ディーゼル機関車2760号機。「あなたなら大切にしてくれるに違いない」と、ポールさんは無料で譲り受けることになりました。 念願の機関車を手に入れたポールさんですが、そこから家までは「自分で運転して行ってね」と言われてしまいます。
ポールさんには鉄道の運転経験は全くありません。「これがブレーキ」など30分ほどの簡単な説明の後、その場で機関車を引き渡され、広い構内をマイカーならぬ「マイトレイン」での「初ドライブ」となりました。機関車を運転するのさえおぼつかないポールさんにはさらに、ミッション・インポッシブルが待ち構えていました。運搬用のトラックの荷台に機関車を積み込んだうえで、新しい保管場所へ運ぶ作業です。 製鋼所内の線路からトラックの荷台に「仮設のレール」を渡し、ゆっくりゆっくり機関車を運転して荷台に乗せるわけですが、脱線すれば文字通り、奈落の底。入手したばかりの愛機は一瞬でスクラップです。 ようやくトラックに積み込んだと安堵したのも束の間。110kmほど離れた目的地の鉄道路線でトラックから2760号機を降ろし、機関庫まで行くのも同様にポールさんの「綱渡り」の運転です。「手汗が止まらなかったよ!」ポールさんは1999年のことを振り返り、「今は機関車をワイヤーにつないでレールの上を巻き上げる手法が一般的」と苦笑します。 それ以来、ほぼ四半世紀。新拠点地となったイングランド中部コッツウォルズにあるグロスタシャー・ウォリックシャー鉄道(GWSR)のトディントン駅の操車場で、ポールさんは友人たちを乗せて“列車運行”を楽しんできました。鉄道模型が趣味だった共同所有者である父親のビルさんとともに、愛機に改良を加えることも楽しみの一つ。鮮やかな青のボディに真っ赤な連結棒の2760号機は、ひときわ目を引く美しい機関車に仕上がりました。
親子二人三脚で20年以上管理
優雅な趣味に思えますが、苦労は絶えません。車輪配置0-6-0と小ぶりながらも牽引力があるため、使っていない時はGWSRに貸し出し、貨車の入れ替え作業に使わせています。ですが、GWSRから支払われるレンタル費(1時間11~12ポンド)に対して、修理コストは赤字。つい最近も、ローラーベアリングの修理に5000ポンド(90万円強)かかりました。修理費用を募るということも可能ですが、英国の鉄道雑誌『Heritage Railway』のライター、オーウェン・ヘイワードさんに取材したところ「心情的に、個人所有の機関車には寄付が集まりにくい」のだそう。 お金だけでなく膨大な時間もかかります。1959年に英国の工業都市シェフィールドのヨークシャー・エンジン社で製造された同機は、同型で現存する最後の一機のため、部品の在庫がもうありません。紡績機などの修理工だった父親のビルさんが独学で機関車の構造を学び、類似の代替品などを地道に探し、どうにか走れる状態を保ってきました。
ポールさんにとって鉄道は物心ついた時から父・ビルさんとの共通の趣味でした。成長とともに、鉄道模型、写真撮影、乗り鉄、機関車を共同所有と形を変えつつ、常に二人を繋いできた絆だったのです。 残念ながら、2021年末に2760号機は再び故障し、2022年2月には父・ビルさんも亡くなってしまいました。一人では管理しきれなくなったポールさんは熟慮を重ねた末、今年の1月、機関車コレクターの知人に2760号機の修理を託し、修理完成から一年後にそのコレクターに譲るという契約を交わしました。大切な愛機の修理成功は、別れのカウントダウンが始まる瞬間でもあるのです。
「今は一瞬、自分が預かっているだけ」
「お金と時間がかかる以外はメリットしかない」と述べるポールさんに、「誰でも買える仕組みは、歴史的な価値のある機関車が海外に流出するリスクではないか?」と問いかけてみました。意外にも、「答えは日本にある」と言います。 今年6月16日にとしまえん跡地に新しくオープンしたばかりの体験型施設、「ワーナー・ブラザース スタジオツアー東京 メイキング・オブ・ハリー・ポッター」でホグワーツ特急として常設展示されているのは、1929年にグレート・ウェスタン鉄道スウィンドン工場で製造された「GWSR4900型4920号機ダンブルトン・ホール」という、歴史的価値のある蒸気機関車なのです。
「ワーナー・ブラザースの手に渡って日本に送られたけど、またいつか、英国に金銭的余裕ができたら買い戻せば良いからね。スクラップになるより、日本でハリーポッターの蒸気機関車として大切にされている方がずっといい」と、ポールさんは前向きです。自身の愛機も、長い鉄道保存史の中で「今は一瞬、自分が預かっているだけ」と、少し寂しそうに、でも、誇らしげに微笑みます。 鉄道発祥の地、英国ならではの自信に満ちた保存活動は、歴史の一部を担っているという個々人の情熱と自覚と、自由を尊重する文化と社会に支えられていました。