神奈川県出身の西洋料理伝道師【シリーズお墓から郷土の偉人発見 VOL.18】

8月から9月になりました。9月といえば食物の秋ですが、今回は神奈川県出身の西洋料理普及活動家・北川敬三さんを紹介します。

北川さんは1894年に横浜市に生まれました。日清戦争で戦死した北川金太郎の子です。 西洋料理の基礎知識や、手軽な西洋料理食卓とそのすすめ方など、戦前の日本に西洋料理の普及と発展を促すため、数々の作り方を紹介しました。また、学士会館料理長として、海軍糧食の改善を図り、また斯界の発展に努力しました。 著述は多数あり、主に1936~1940年の『晩春にふさはしい家庭向西洋料理』『家庭向西洋料理 季節の味』『今日の午餐』『ライスカレー縦横談』『卵の西洋料理』『ソースの作り方』など、雑誌等を通して西洋料理の作り方等を紹介しました。

また戦後は『家庭西洋料理の作り方』(1952)、『西洋料理 魚貝料理編』(1956)、『西洋料理の手ほどき』『西洋料理の奥義と家庭料理』などを出版するなど、日本における西洋料理発展の礎であり、北川自身その普及活動に生涯を尽くしたといいます。

<墓誌などより>

※北川敬三の次男の北川正敬(同墓)さんは府立六中から海軍兵学校(71期)を卒業し、軍艦山城、阿武隈乗組、北太平洋作戦に参加後、霞浦、宇佐の両航空隊付、横須賀航空隊教官などを歴任しました。 大戦中の1944年7月18日に任務遂行中、茅ケ崎上空にて空中事故(彗星実験中事故)のため殉職しました。正七位・海軍大尉で享年22歳でした。

※墓所内には墓誌碑があります。

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◆取材協力
歴史が眠る多磨霊園
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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