『紅の豚』に出てくる「伝説のエアレース」とは? “水上機”の世界最速競争 世界の軍も全面協力

今から110年前「シュナイダー・トロフィー・レース」という水上機の速度を競うエアレースがモナコで初開催されました。同レースはとある作品に深い関わりがあります。スタジオジブリ制作のアニメ映画『紅の豚』です。

かつて行われた水上機最速を決めるレース

 1913年4月16日、今から110年前「シュナイダー・トロフィー・レース」という水上機の速度を競うエアレースがモナコで初開催されました。 以降、1915~1918年に第1世界大戦で中断された以外は、終了する1931年まで、毎年(1927以降は隔年)ヨーロッパやアメリカで開催され、欧米の航空機メーカーが自社製造機の性能を競いあいました。そして、同レースはとある作品に深い関わりがあります。スタジオジブリ制作のアニメ映画『紅の豚』です。

 同作は現実の世界を元にしています。舞台は第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の「戦間期」と呼ばれる時代です。その時代にこのシュナイダー・トロフィーは話題となったレースでした。 劇中では主人公ポルコの飛行艇用のエンジンを調達してきたピッコロのおやじが「シュナイダー・カップでこいつを付けたイタリア艇はカーチスに負けたんだ。だが、こいつのせいじゃない。メカニックがヘボだったからだ!」と同カップに言及するシーンがあります。 このときピッコロのおやじが言っている「カーチス」とは、劇中に出てくるポルコのライバルであるドナルド・カーチスではなく、おそらくシュナイダー・トロフィーに参加したカーチスCR-3もしくはR3C-2かと思われます。なお、R3C-2は劇中でカーチスの愛機であるカーチスR3C-0のモデルにもなっています。 他にも、ポルコの戦友であるフェラーリンの乗機も同レースで優勝したイタリア製のマッキ M.39がモデルです。ポルコの愛機に関しては、外見はマッキM-33と言われていますが、名称はサボイアS.21試作戦闘飛行艇という架空の飛行艇で、操縦は難しく誰にも扱えず、倉庫に保管されていた機体をポルコが購入したことになっています。

当時は技術の問題で水上機こそが最強だった!

 また、『紅の豚』に登場する航空機はことごとく下駄履き(フロート付き)の水上機や飛行艇になっていますが、これも戦間期の特徴を物語っています。

 第1次世界大戦後は、航空機に引き込み式の降着装置が定番化される前でした。くわえて滑走路の舗装技術も未熟だったせいもあり、衝撃の少ない海上を離水する水上機の方が、高性能な機体を作れるという考えがありました。「シュナイダー・トロフィー・レース」も、そうした“水上機こそ最高性能の飛行機”という時代に行われたレースだったため、飛行機メーカーに軍が全面協力することも珍しくありませんでした。『紅の豚』の時代に最強を誇ったカーチスはアメリカ軍が強力にサポートしており、他国も軍が本気にならなければ勝てないとなり、各国の威信を賭けたレースに発展していきました。 ちなみに、1925年にアメリカ・ボルティモアで行われたレースでカーチス R3C-2を操縦して優勝したジミー・ドーリットル中尉(当時)は、後に、日本を初空襲するドーリットル中佐その人です。 同レースは、同じ航空機メーカーが3大会連続で優勝すると、トロフィーをそのメーカーの永久保存とし、レース自体も閉幕することになっていました。そのレースを1927、1929 、1931年と3連覇し、終わりにしたのが、第2次大戦時のイギリス戦闘機「スピットファイア」シリーズの製造も手掛けたスーパーマリン・エイヴィエーション・ワークスでした。

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