タイへ渡った「北斗星」の機関車「どう動かせば…」 壊す寸前で救った日本人鉄道ファンの輪

JR北海道で廃車となったDD51形の2両はタイへ渡り、国鉄の複線化事業を請け負うAS社の工事用機関車になりました。しかし言葉の壁や整備の難しさなどから正常に運転するまでが大変。これを救ったのは、偶然出会った日本人鉄道ファンでした。

手元には薄いマニュアルのみ

 2016(平成28)年7月。JR北海道で廃車となった「北斗星」色のDD51形ディーゼル機関車8両が、室蘭輪西埠頭へ無動力回送されました。解体ではなく輸出されるためでした。以前より、日本で活躍した車両はロシア、タイ、マレーシア、ミャンマー、インドネシアといった国々へ輸出され、異国の地で第二の人生を歩んできましたが、ブルートレインの終焉まで活躍したDD51も、海外で活躍することになったのです。

 8両のDD51のうち、1137号機と1142号機の2両はタイへ輸出されました。納入先はタイ国鉄ではなく、インフラ工事会社A.S.Associated Engineering Co.,Ltd(AS社)。同社は鉄道のほかにも道路やダムなど土木インフラ工事全般を行う中堅会社で、タイの国家プロジェクトである国鉄路線の複線化事業に参入しています。そして現在は、仏舎利で有名な南本線ナコンパトム駅とリゾート地フアヒンまでの複線化工事を担当しています。 2両のDD51はAS社所有機となって復活し、2018年から物資やバラスト輸送に活躍するはずでした。しかし、その復活劇は一筋縄でいかなかったのです。 AS社に渡ったDD51は、日本から技術サポートもなく、輸出会社から渡されたのは薄い数ページのマニュアルのみ。機関室内や機器には日本語表記しかなかったこともあり、手探り状態で運転せざるを得ない状況でした。 廃車になった時点でJR北海道からも離れており、また輸出に関わった会社は、技術的なレクチャーを販売契約に入れていませんでした。このため既にDD51を輸入していたミャンマー国鉄の職員がAS社を訪れ、操作説明を行いました。 タイ国鉄は非電化路線です。ディーゼル機関車は大活躍していますが、GE、アルストム製といった電気式ディーゼル機関車であり、日本で発展した液体式タイプは主流ではありません。 AS社では小型の液体式機関車が納入されていたので、一応は扱える状態ではありました。ただしDD51は巨体で、操作方法も複雑です。運転士や責任者が頭を抱えていたちょうどその時、長崎から訪タイした吉村さん、バンコク在住の木村さんの日本人鉄道ファンが、何気なくDD51を見学しにAS社を訪れました。

タイでの様子をYouTube配信 寄せられたコメントに…

 DD51が配置されていた場所はノンプラドック駅という、太平洋戦争中にタイとビルマ(現・ミャンマー)を結ぶために日本軍が建設した泰緬鉄道の起点駅です。両氏はタイの鉄道写真をきっかけにつながり、泰緬鉄道でC56形蒸気機関車15号機が久しぶりに走るからと現地へ向かう際、ノンプラドックのDD51も見ていこうかと軽い気持ちで訪れたのです。「日本から誰も教えに来なくて非常に困っているんだ」 2人の日本人鉄道ファンが訪れたとき、AS社の責任者がこう訴えてきたのです。木村さんは通訳業。タイ語での意思疎通はできます。運転光景を動画で撮影してYouTubeへ公開すると、DD51の整備経験者の辛島さんから「この運転は基本を逸脱しており、かなり危険だ」と指摘コメントが書き込まれました。

「これは危険だ。せっかくタイへ渡ったDD51を安全に運行させる手助けはできないものか」。吉村さんと木村さんはイチ鉄道ファンとして悩み、即席でタイ語へ翻訳したシールを計器類に貼ったものの、メンテナンスや操作は専門外です。 AS社は日本からDD51目当てで訪れる日本人鉄道ファンを暖かく迎え入れ、2両の塗色も自社カラーへ塗り替える予定でしたが、「北斗星」色のままにしておこうと決めました。そして吉村さんも、日本の機関車を大事に使い続けたいというAS社の気持ちに何とか応えようと、技術支援を目的としたクラウドファンティングを立ち上げました。「私が北海道に住んでいた時、近所に新製配置されたのが1142号機でした」と運命的なものを感じたという吉村さん。こうして、DD51が安全に走り続けられるための一歩を踏み出したのです。 ただし当初は、AS社のプロ技術者が素人の鉄道ファンの提案を聞き入れてくれるのか、さらに日本の技術者も受け入れてくれるのか不安だったそうで、通訳者の木村さんからAS社の意向を打診してもらいました。

壊してしまう寸前だったDD51

 タイのDD51を助けるプロジェクトは注目を浴び、日本やタイで様々なメディアに取り上げられ、クラウドファンディングは目標を達成しました。タイのDD51を助けたいと思う人々の声が集まって形になったのです。ただその場しのぎで救うのではなく、継続的に技術サポートをする。そのためには技術者が不可欠です。吉村さんが九州鉄道記念館と連絡を取り合って紹介した技術者は、偶然にも動画に指摘をした辛島さんでした。支援メンバーは、部品調達や技術指導のサポート体制を確立させて現地へ足を運び、手弁当で技術指導と整備を始めます。「制御弁、無動力回送コックが閉まっている状態だったのです」 辛島さんは驚きました。輪西埠頭へは無動力回送だったため、エンジンを切って車扱貨物となります。その時はコックを閉める規定となっており、仮に運転台で操作しても制御できません。AS社ではこのことも教えられておらず、コックを閉めた状態で走ろうとしていたのです。

 さらにラジエーターの水が無く、危うくエンジンが焼けて使えなくなるところでした。加えて炎天下なのに冷却水コックが運転室内へ暖房となる位置のまま。ブレーキや運転操作方法といった様々な問題点が表面化します。基盤の不具合、パッキンの劣化、2基あるエンジンの同調不足。安全運行に支障をきたす事柄が数々と噴出していきました。 そして、コロナ禍が追い打ちをかけます。メンバーが現地入りできず、作業が滞ってしまいました。そのような状況でもSNSのグループ動画やチャット機能を活用し、運転方法や部品のチェックなど、国を跨いでリモート支援を継続したのです。リモートワークはここでも大活躍したのですね。必要な部品は日本から送り、また現地で部品を製造できたのも幸いでした。 こういった活動を繰り返すこと約3年。コロナ禍でも確実にDD51を安全運行できる体制が整い、渡航制限が緩和された2023年、メンバーは再び現地へ赴きます。

惰性運転を取り入れること

 技術指導ではタイ語へ翻訳する際、鉄道の専門用語があるため、木村さんの翻訳が適切か、辛島さんと確認します。日本とタイの技術者同士で身振り手振り意思疎通することもあり、お互いに言葉の壁を越えてニュアンスが伝わり、それを翻訳して確認するといった作業の積み重ねでした。 運転操作では、「タイの習慣なのか“力行”を続けるのです」と辛島さんが言うように、実際にタイの列車へ乗車すると、駅到着までエンジンを噴かし続け、ギリギリでブレーキをかける運転に遭遇します。DD51は力行し続けると、10分もすればオーバーヒートしてしまいます。適度に惰性運転しないと、炎天下のエンジンは持ちません。そのために運転指導も行い、2023年1月には改善されました。

 偶然と偶然が重なり、いや、こうして自然と人々が集ったのは必然だったのかもしれません。AS社に渡った2両のDD51は奇跡的に復活しました。支援はこれからも継続して行い、AS社側も「複線化事業完了後も、何らかの形でDD51を使い続けたい」と意気込みます。今後は部品の確保が大きな課題であり、日本で廃棄された部品や互換性のある廃棄部品を確保する予定です。 2023年2月。クラウドファンディングのDD51見学会リターン事業がノンプラドックのAS社にて催され、1137号機の見学が叶いました。コロナ禍を挟み3年越しの開催です。この時は1142号機が現場作業へ活躍し、出張していました。機関車の調子は良いとのことです。 目の前の1137号機は、旋回窓が通常ワイパーとなり、タイ国鉄の建築限界に合わせて細部がリメイクされていますが、紛れもなく「北斗星」や「はまなす」を牽引したあの機関車です。元気な姿で我々の前に現れ、短距離ながら走行しました。 最後に、AS社の方から日本のファンの方へ重要な伝言です。「DD51は普段現場にいるのでノンプラドックにはいません。日本から来ても会えないですが工事作業に活躍しているのでご理解ください」 これからも末永く活躍することを願っています。

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